「小さい選手はここまでか」と叩かれ、味方だった関係者からも非難の声──。歴史的敗戦の責任を一身に背負わされ、居場所を失った竹下佳江さんは、バレーから逃げるようにハローワークへ足を運びました。「まず人を疑ってかかるようになった」と言う彼女が、人間不信のどん底から再び立ち上がれた理由を聞きました。
「小さい選手はバレーボールでは厳しいのかな」
── 竹下さんは身長159センチで、バレーボール選手のなかでは小柄なほうだと言われています。身長はいつ頃から意識し始めましたか。
竹下さん:小学3年生から姉の影響でバレーボールを始め、上手くなるのが嬉しいし、何より楽しくて続けてきました。ところが、5年生頃になると、小柄な人はレシーバーやセッターに配置されていき「スパイクを打つ人は背が高いほうがいい」と言われるようになって。この頃から身長について意識し始めました。

中学でもバレー部に入りました。福岡の県大会で優勝するようなバレー強豪校だったのですが、県選抜のメンバーには「身長170センチ以上の子が3人入っていないといけない」という規定がある場合もありました。だんだん身長が伸びなくなってきて、「小さい選手はバレーボールではやっぱり厳しいのかな」と思うことが多くなっていきました。
── 高校生でU19の全日本ユース代表に選ばれ、世界ユース選手権に出場し世界一を獲得するなどの成績を収めました。人いち倍、努力をされたのではないでしょうか。
竹下さん:身長が低いからこそ、大きい選手に負けないように「自分はどう頑張らなきゃいけないか」という考えにシフトして、努力できたのはよかったと思います。ただ、高校進学や実業団からスカウトが来る際に、そこまでパフォーマンスが高くなくても、高身長の子には声がかかっていたので、身長が必要だという現実を目の当たりにしていった感じがします。
実業団の選手は女性で180センチ台の方も多いので、やっぱり先々のことを考えると身長が高い子を選んでいきたいというのもわかります。ただ、当時は思春期だったこともあって、その人自身に対するねたみの気持ちはなくても「どんなに頑張っても身長で左右されてしまう世界なんだ」という理不尽さを感じていました。
代表デビューも「バレーボールのすべてが敵に見えた」
── 高校卒業後は、NECレッドロケッツに入団、翌年には日本代表のセッターとしてデビューしました。2000年に、シドニーオリンピックの出場権をかけた戦いでクロアチアに敗れた際に、「セッターが小さいからだ」と竹下さんに非難の目が向けられたと伺っています。
竹下さん:女子バレーボールには、昭和30年頃から続く「東洋の魔女」と言われる強さの功績があり、1964年の東京オリンピック以来、初めてオリンピック出場権を逃した瞬間でした。
まるで「犯罪を犯したのか」と思うほどの批判を受け、メディアには「小さい選手ではここまでか」という見出しが並びました。メディアだけならまだしも、今まで味方だと思っていたバレーボールの関係者からもネガティブな声が聞こえてきて。「こんなに否定されて、居場所がなくなった」と思いました。バレーボールのすべてが敵に見え、これからどう頑張ったらいいのかわからなくなってしまって。20代前半で、人の怖さを知りました。
── 「犯罪を犯したのか」という言葉が批判の大きさを物語っています。そのあとバレーボールを辞めようと思っていた時期があったと伺いました。
竹下さん:「背が高い人がいいなら、私は必要ない」と思って、当時所属していたNECの監督に辞める旨を伝えたのですが、引き留められて。
私自身もどうしたらいいのかわからず、でもこのまま続けていくこともできないので、物理的にバレーボールから離れたんです。今思えば、少し休息を取る時間も必要だったと思います。それまでは「小さい選手が休んでどうする」とずっと自分を自分で追い込んできて、365日休まず練習をしてきました。心身ともに追い詰められていたと思います。
ハローワークで「別の仕事を探し」
── バレーボールから離れて、どんなことをしていたんですか。
竹下さん:バレーボールと距離を置いてみたら、何もないところにポンと放り出されたような感覚がありました。「これを機に違う職業に就いてみるのもいいのかもしれない」と、ハローワークに足を運んだんです。子どもが好きなので、保育士の資格を取るために専門学校に通おうかとか、高齢の方のお世話にも興味があったので、介護関係の仕事はどうだろうと考えていました。
── 日本を背負って世界と戦っていた選手が、具体的に別の仕事に就こうと考えていたとは…。
竹下さん:やっぱり体力には自信があったので、何か別のことをするなら、体力が活かせる仕事で、人のサポートができたらいいなと思いました。今でもそうですが、高齢の方が困っている姿を見ると助けてあげたいと思うことがあって。そのたびに「そういえば介護の仕事に就きたいと思っていたな」と当時のことを思い出しますね。