テレビでは「赤信号で渡った」と疑われて
── 当時、大東さんはテレビのバラエティ番組などで多忙を極め、キャリアの絶頂期でした。お仕事への影響も大きかったのでは?
大東さん:1週間後に控えていたCM撮影は白紙になり、レギュラー番組も1つを残してすべて降板に。当時の私は「元気で明るい」イメージでキャスティングしていただいていたので、事故で動けなくなった現実は、タレントとしての存在価値を揺るがす致命傷でした。
「世界中どこでも行きます、何でもやります」というパワフルな行動力こそが私の武器なのに、それができなければ自分には何も残らないのではないか。芸能界は入れ替わりの激しい世界です。鳴かず飛ばずの時期を経て、ようやく仕事がいただけるようになったからこそ、失うのがすごく怖かった。
しかも当時は、独立して自分の会社を立ち上げたばかり。そんななか、事故で強制的に仕事を奪われ、積み上げてきたキャリアが一瞬で消え去っていくような絶望感に襲われました。さらに追い打ちをかけたのが報道による二次被害です。
── どのような報道被害があったのでしょうか。
大東さん:ニュースの事故を再現したCG映像で、私が赤信号を無視して横断したかのように報じられたんです。実際には青信号で渡っていたのに、きちんと取材されないまま映像が作られていて。「間違っています!」と声を挙げたかったけれど、身動きができない状態ではそんな気力すらありませんでした。その後、事故当時、現場にいた方々が証言してくださって疑いは晴れましたが、一度広まってしまったネガティブなイメージは簡単には消えませんでした。
── キャリアが突然断ち切られ、さらに誤報で世間のイメージまで歪められてしまう。精神的にも大きな打撃だったと思います。その後、お仕事はどうなったのでしょうか。
大東さん:すべての仕事がなくなるなかで、唯一続いていたのが地元・名古屋の情報番組でした。プロデューサーが病室まで来て励ましてくれたのですが、「長期間席を空けておくのは難しいんです」と告げられて。その瞬間、「ここを失ったら本当に何も残らない」と思い、「大丈夫です。来週から行けます」と即答したんです。
足はまだ思うように動かず、松葉杖と車椅子での復帰でした。リポーターとして「伝える仕事」への思いが強かったので、この番組だけは絶対に手放したくなくて。けれど、結局、仕事が以前のように戻ることはありませんでした。テレビを見ていて、「あの事故さえなければ、私もあそこにいたかもしれないのに…」と、何度思ったことか。やりきれない気持ちは正直、今でもあります。