同級生の家に逃げ「諦めて心に蓋をした」

── 追い出されたときに行く場所はあったのですか。

 

町さん:仲のいい中学の同級生の家に泊めてもらっていました。「ごめん。お父さんがまた暴れちゃって」と。でも、友達には泣いて相談する感じではなく、「もう、またうちのクソジジイがさ。ほんとやだね」と無理やり笑い飛ばして、その話はさっさと終わりにしていました。

 

自分のなかで、いったん線を引くと言いますか、毎回毎回、父の理不尽な振る舞いに振り回されて、自分の人生を父に支配されるのは嫌だという強がりもあったと思います。父の場合は、アルコール依存とDV傾向があったのですが、父の言動すべてを受け止めていると、自分自身の心も不安定になってしまう。前向きな考えではないかもしれませんが、「これはもう仕方ない」と、諦めに近いような形で心に蓋をすることにしていたんです。

 

母の障がいに関しては前向きに受け止めて「できないことではなくできること」を数えるという発想の転換をしましたが、父の酒癖や暴力については私の力ではどうすることもできませんでした。自暴自棄になってしまっても仕方がない状況でしたが、父と私の人生は別のものであり、「父のようには絶対にならない」と心に決めて運命を受け入れることにしました。

実は父も、ヤングケアラーだった

── 自分を守る策だったんですね。大学に進学したのはお父さんの強い希望だったと伺いました。

 

町さん:実は父も、ヤングケアラーでした。5歳のときに、父の父、私の祖父が事故で亡くなって。祖父はまだ30代でした。看護師をしていた祖母が父と弟を女手ひとつで育ててくれたそうで、本当は大学に行きたかったけれど、経済的に苦しくて進学を諦めたという過去がありました。それが長女の私に対して「大学に行け」と厳しくし続けた理由でしたが、父は上手く言語化できませんでした。

 

ちゃんと言葉にして言ってくれればよかったんです。「お父さん、小さい頃に父親を亡くして大変で。大学に行きたかったけど行けなかったから、お姉ちゃんには行ってほしい」って。就職活動を始めたときに、アナウンサー含めてテレビ局や新聞社などは、四年制大学を卒業していることが条件となっていることを知って、結果として大学受験を後押ししてもらったのは良かったのですが…。「俺の言うこと聞いておけば間違いない」「お前は勉強しておけばいい」という言い方では伝わりませんよね。