バレーボール選手を引退後、舞台や歌手へと活動の場を広げた大林素子さん。「バレー以外ではプライドがない」と言いきって、役者や歌手などゼロからの活動を始めます。徐々に周囲から認められるも、いっぽうで長年のコンプレックスから自己肯定感が低く、「自分の殻が破れない」という課題に直面していると明かします。そんなもどかしさを抱えながらも、彼女が新しい場所へ飛び込み続けるのはなぜなのか。そこには、救急車で運ばれても舞台に立ち続けた母の姿から学んだ「後悔なく生きる」という強い思いがありました。

テレビ局でつんく♂さんに「デカモニやりませんか?」

── 1996年のアトランタ五輪出場を最後に、現役から引退されました。それまで人生のすべてを捧げてきたバレーボールから離れたことで、ご自身のアイデンティティが揺らぐような感覚はありませんでしたか。

 

大林さん:まったくありませんでした。私の目標ははっきりとオリンピックにありましたから、出場してやりきったと思えた瞬間に「やっと戦いが終わった」という解放感と、背負っていた日の丸を無事に降ろせた安堵感でいっぱいでした。

 

現役時代の後半は膝の痛みがひどく、注射を打ちながらのプレーでしたし、(次回の五輪がある)4年後、今以上の自分を見せることはできないと思った瞬間「もう終わりだな」と、イタリア・セリエAから帰国途中に、引退をすでに決めていました。その後はスポーツキャスターとして寝る間もなく走り回る日々でした。

 

大林素子
美少女!リラックスした表情を見せる高校時代の大林さん

── その後は、舞台や歌の世界へと活躍の場を広げていかれました。

 

大林さん:演じることは幼い頃からの夢だったんです。とはいえ、ただ待っていてもチャンスがやってくるわけではない。だから、全部、自分から動きました。たとえば、当時、モーニング娘。から生まれた身長150センチ以下のユニット「ミニモニ。」が流行っていたのですが、テレビ局でつんく♂さんにお会いした際、「182センチの私で『デカモニ。』をつくってください!」と、提案しに行ったんです。そこから本当に身長180センチ以上が条件の「デカモ二。」が誕生しました。私一人でしたけど(笑)。

 

蜷川幸雄先生の舞台に出演した経緯も同じです。どうしても出たいけれど、当然オファーなんて来ませんから、舞台を観に行き、直接お会いして書いてきた手紙を渡しました。最初は信じていただけていないようでしたが、2年ほど通い、お稽古を見学させていただくようになって、ついに「じゃあやってみる?」と出演が決まりました。夢を叶えるには、自分から動く。それが私の信条なんです。

 

── 体当たりで扉を開いてこられたのですね。ただ、オリンピアンとして築いたキャリアがあっても、まったく違うジャンルでは新人としてゼロからのスタートになります。プライドが邪魔をすることはなかったですか。

 

大林さん:バレー以外では、プライドはまったくないんです。それまでスポーツしかやってこなかったわけですから、お芝居も歌もできなくて当たり前。だから新人として恥をかくのも、まったく恥ずかしいことではないし、当然の過程だと思っています。そもそもバレーをやる前も運動が得意だったわけではないんです。だから、努力で実力を積み上げていくのが当たり前な感覚が染みついているんです。ただ、技術以上に、自分自身の内面にどうしても突破できない壁があると感じることはありますね。