「取材の知識が役立たない」眠れない夜の葛藤
── それでも、踏み込んで話を聞き続けてきたのは、なぜですか?
阿久津さん:声なき声を伝えることで、誰かの状況が少しでも良くなればという思いで取材を続けてきました。実際、15年以上前に取材した「高濃度乳房」で見落とされたとされる乳がん女性のケースでは、番組をきっかけに、自治体がエコー検査に補助を出す動きも出ました。
当事者の困りごとや現実をきちんと伝えることで、社会が少しずつ動いていく。そういう変化を見てきたからこそ、家族のことや生活の細部まで踏み込んで聞くことも必要だと実感してきたんです。でも、自分が患者になった瞬間、その問いが患者本人にとって、どれほどの重さを伴うものだったかを痛感しました。

── 告知を受けたときの状況を教えていただけますか。
阿久津さん:告知を受けた6年前の健康診断で左胸に怪しい影が見つかりました。毎年おなじみの「経過観察」だと思ったら「速やかに病院へ」と言われて。左はほぼ確定、右もがんかもしれない、と。同時に見つかるのは5%未満の珍しいケースで、ネットで検索をしても、自分の状況に当てはまる生存率などの統計データが出てきません。
取材を通じてがんの知識があるつもりでしたが、これから自分がどうなるのかまったく予測が立たない。疑いの段階(暫定診断)を越え、治療方針を相談する確定診断までの2週間、ほとんど眠れない夜が続きました。
── ドキュメンタリー『おっぱい2つとってみた〜46歳両側乳がん』では、告知の場面から手術後の傷跡まで、ご自身の闘病の過程がつぶさに記録されています。さらけ出すことに、ためらいはなかったのでしょうか。
阿久津さん:自分の中に「2人の私」がいる感覚でした。自分のがんを俯瞰で見る「制作者」としての自分と、病気に動揺している「患者」としての自分。でも、私自身が拒まなければ、ひとりのがん患者の実態をすべて撮ることができます。こんな機会は二度とない。「これはきっと誰かの役に立つはず」という思いが勝って、告知の場面から自分のスマートフォンのカメラを回し続けました。
いっぽうで、撮られる側になって初めて、映像は隠せないのだとも痛感しました。我慢して強気なことを言っても、心が泣いていれば泣き顔で映ってしまう。さらけ出すことへの迷いと、それでも記録を残そうとする気持ちの間で、葛藤がありました。