意地のお弁当と、夫婦でズレていった「登る山」 

── 社長として多忙を極める中でも、家事の手を抜かなかったそうですね。

 

諏訪さん:毎朝、息子のお弁当は必ず作りました。「社長になって家庭が疎かになった」とだけは言われたくなくて。仕事も家事も全力投球してきたつもりです。夫も赴任3年目以降は日米を行き来する生活に。日本にいるときは家族の時間を大切にしてくれました。でも、お互いに無理を重ねていたのだと思います。

 

夫は奮闘してきた大企業で地位を築きたい。私は町工場をなんとしても守りたい。お互いに必死に生きる中で、登るべき山の頂上が、いつの間にか別々の方向を向いていました。夫が帰国してからも衝突が増え、息子が成人したタイミングで「お互いの道を進もう」と卒婚を決意したんです。お互いに自分の人生を歩こうという選択でしたので、紙一枚の話ですが気持ちがとても楽になりました。妻という役目から解放された感じです。

 

──「離婚」ではなく「卒婚」ですか?

 

諏訪さん:憎しみあって別々の道を歩んだわけではないんです。互いの人生を尊重するために、突き放すのではなく適切な、前向きな距離感になる。だから「卒婚」です。今も彼を家に招き、息子と3人で食卓を囲むこともありますし、息子も私たちの関係を受け入れてくれています。