「腫れ物」のように扱われたプリクラ。初めて知った孤独

むろいのぞみ
両親は指がない右手に「ぐーちゃん」と愛称をつけてくれた

── そんなむろいさんが、周りとの「違い」をはじめて意識したのはいつごろだったのでしょう。

 

むろいさん:幼稚園の出し物でダンスを踊ったときでした。みんなは右手でテープを持って踊るのに、私だけそれができなくて。先生が工夫して、テープを貼った私専用のリストバンドを作ってくれました。そのときに「私はみんなのようには掴めないんだな」と気づきました。みんなが「見せて見せて」と私の右手に興味を持ってくれたのはうれしい反面、毎回言われると正直「ちょっと面倒くさいな」とも(笑)。

 

小学校に入ると、さらに鉄棒の逆上がりや音楽のリコーダーなど、指がないことで苦戦する場面が出てきました。中学では先生が手のことをみんなに説明してくれたおかげで「手伝おうか?」親切に接してくれました。ただ、ありがたい反面、「自分でもできるのにな」という思いや、親切にどう返せばいいかわからない戸惑いもありました。

 

── 高校に入ると、今度は逆に孤独を感じた瞬間があったそうですね。

 

むろいさん:高校ではみんなが気を遣って、今度は私の手についていっさい触れなくなりました。配慮だとはわかるのですが、自分の右手が「腫れ物」のように扱われているように感じていて。

 

ある日、友人たちとプリクラを撮りに行ったときのこと。「両手でハートポーズを作ろうよ」と友人が何気なく呼びかけたんです。できずにいる私を見て友人は、ハッと言葉に詰まってしまい。あの瞬間の、凍りついたような気まずい空気…。

 

悪気はないことはわかっています。でも気を遣われるたびに、手のことばかりを考えるようになって、大学に入るころには人との関わりを避けるようになっていきました。

 

今思えば、当時は「みんなと同じように自分でやりたい」「障害があるからできないと思われたくない」。そんなプライドがあって、困り事があっても「できないから助けて」と言えませんでした。できなくても無理やり工夫するか、「できなくてもいい」と平気なフリをして、家に帰ると落ち込むんです。手のことで悩んでも周りに相談することができませんでしたが、人前では暗い顔をしているわけにもいかず、無理に笑って過ごしていた時期もありました。