脳梗塞、がん…止まらない大病の連鎖

── 試練はそれだけではありませんでした。2024年には脳動脈瘤のオペの合併症で脳梗塞を発症し、2025年にはがんまで…。信じがたいほどの大病が永島さんを襲います。

 

永島さん:脳の手術後、記憶が4日間消えました。後遺症で手が震え、まっすぐ歩くこともできない。さらにがんの手術後は、まひが残る左手に加え、術後の右手も使えなくなりました。嶺は自力で起き上がれないため、私が抱き抱える必要があります。母親が倒れるのは、この子にとってのインフラがすべて止まることに等しいと思い知りました。私は子どものために簡単に倒れるわけにはいかないし、病気さえすることができないんです。

 

── 絶体絶命の窮地。しかし、こうした危機的状況が家族の形を変えていきました。

 

永島さん:私が最初に入院した1週間、初めて夫が嶺と付きっきりで過ごしました。それまでは学校生活のことさえ把握していなかった夫が、いきなりすべてのケアを任されたんです。とても大変だったと思いますが、それを機に、今では私が入院や手術をする際に、最も頼りになる存在へと変わってくれました。

「誰か助けて」と言い続ける勇気

── 立て続けの闘病を経て、永島さんは今、「健康第一」で日常を過ごしています。かつては自分の体力を過信し、ひとりで背負い込んできましたが、今は「睡眠をとることも、嶺を守るための仕事」だと考えるようになりました。

 

永島さん:もしあのとき、放課後デイやショートステイが受け入れてくれなかったら、私は今ここにいないかもしれません。「ふだんから福祉とつながり、助けてくれる人が周りにいる状態を作っておくこと」。 それが、障害児家庭が生き抜くための唯一の鍵だと痛感しています。

 

永島祥子
周囲の明るいママたちに支えられてきたという

── 親の健康こそが家族のインフラという自覚をしたと同時に、 障害児家庭が「緊急時に立ち往生しないためには、医療・福祉・地域が連携する必要性がありそうですね。

 

永島さん:親が子どもの手を離せなくなり、自分の治療を諦めてしまうような社会であってはいけない。障害児を持つ親たちが緊急時に立ち往生しないよう、社会全体で支え合う仕組みが必要ではないかと感じます。次々と大病をして、身をもって実感しました。

 

 

救急車の中で告げられた「この子がいるから、お母さんは運べない」という言葉。それは、障がい児を育てる家庭が常に隣り合わせている、あまりに高すぎる「生存のハードル」でした。

 

親が倒れることは、子どもの命綱が切れることと同義です。絶体絶命の淵で、永島さんは「自立」ではなく「助けて、と言い続けること」を選びました。家族だけで抱え込む美徳が、時に命を危うくする。そんな過酷な状況を、私たちはいつまで放置し続けるのでしょうか。

 

あなたは、この緊急現場での現実に、何を感じましたか。

 

取材・文:齋田多恵 写真:永島祥子