「普通ならわからない問題を飛ばせばいいのに、その瞬間『もうダメ』だと席を立って教室を出ました」。中学時代のテスト中に起きた出来事。それが、立石美津子さんと精神疾患の、50年に及ぶ闘いの始まりでした。不安や恐怖に翻弄され、2度の再発も経験。それらを経て、彼女が64歳でたどり着いた「不安とともに生きる」という境地を伺いました。

子どものころからの「心配癖」がある日、突然

立石美津子
乳幼児期の立石さん

── 体についた汚れを過剰に気にしてしまったり、外出時の戸締まりを何度も確認してしまうなど、 強迫性障害にはさまざまな症状が見られます。立石さんが初めて強迫性障害を発症したときは、どのような症状だったのでしょうか? 

 

立石さん:私が初めて強迫性障害を発症したのは、中学2年生のときでした。学校の保健体育の授業で感染症である梅毒について学んだ際、「私は病気かもしれない」という強い不安に突然、囚われたのです。根拠はなく、冷静に考えれば起こりえないことでしたが、一度浮かんだ不安は頭から離れませんでした。

 

それをきっかけに、外出時の戸締まりや電気の消し忘れなど、日常の些細なことにも過剰に反応するようになりました。不安が不安を呼び、考えがどんどん膨らんでいく感覚でした。

 

── 以前から、過剰に不安になってしまうことはあったのですか?

 

立石さん:母が教育やしつけに厳しく、衛生面や戸締りに対して日々注意を受けて育ったため、子どものころから「きちんとしなければいけない」という意識は強かったと思います。ただ、そのころはまだ「少し心配になる」程度で、過剰な不安を感じたことはありませんでした。

 

── 自分が「強迫性障害」だと気づいたきっかけは?

 

立石さん:学校でテストがあった日の出来事がきっかけでした。当時の私は、勉強について「間違えてはいけない」「100点でなければ意味がない」という考えを強く持っていました。母がいつも言っていたことなので、その影響もあったのだと思います。

 

そのこだわりが表面化したのが、テストでの出来事です。最初の問題がわからなかった瞬間、頭が真っ白になり、「もうダメだ」と席を立って教室を出てしまったのです。普通なら「わからない問題は飛ばそう」と切り替えられるはずなのに、当時の私はできなくて。その様子を見た先生が両親に連絡をしてくれて、初めて精神科を受診しました。その後、自分が強迫性障害だということを、医師から告げられたのです。