「最後はやっぱり、一緒にいてくれてありがとうかな」。かつては「不倫は文化」という言葉で時代の寵児となり、ときに世間を騒がせてきた石田純一さん。2024年には自身の生前葬を行い、妻・理子さんからの弔辞も話題になりました。最愛の妻からの言葉を受けて今、心に溢れるのは17年間寄り添ってきた妻への「感謝」でした。人生の終着点で見つけた、本当の愛の形を伺いました。
妻の弔辞を聞いて思わず胸が熱くなった

── 生前葬は、生きているうちに自分が主催して行う葬儀のことを言いますが、石田さんは今まで2回生前葬に参加したことがあるそうですね。1回は知人の生前葬に、2回目はご自身の生前葬を開いたとのこと。まず、1回目に参加した生前葬の状況を伺えますか?
石田さん:ハワイに住んでいる知り合いのお母さんの生前葬に呼んでもらいました。日本でイメージするようなしっとりした、しめやかな雰囲気のお葬式ではなくて、ラテン的というか、明るく陽気な感じでしたね。ハワイアンミュージックが流れるフロアで、みんなで食べたり飲んだりしながら、歌ったり踊ったりする人もいて。自由で穏やかな空間でした。
自分が亡くなってしまったらなにも言えないけど、自分がある程度、元気なうちに、自分の思いや感謝の言葉をみんなに伝えるのはいいことだなと思いました。
── その後、2024年8月に日本で石田さんご自身の生前葬を行いました。
石田さん:知り合いの葬儀会社に声を掛けてもらいました。イベントも兼ねていたので、僕が棺桶に入ったままステージに登場して、棺桶からタキシード姿の僕がひょっこり顔を出し、そのままみんなの前に出てくるんですけど。会場では僕のメモリアルムービーを見たり、友人からビデオレターが流れたり。ショー的な要素は入っていましたが、ハワイに比べると少し真面目な雰囲気だったと思います。自分の生前葬を開いたことで、今までのことを振り返ることができ、今後の生き方の指針にもなりましたね。
── 妻の東尾理子さんの弔辞も話題になりました。改めて全文をご紹介します。
「皆さま。今日は、我々は、大きい家族の、大きい黒い柱であり愛する石田純一を偲んで集まりました。
石田純一は、たくさんの家族があった存在でした。
家族の中心にいようとはしていましたが、いつも私たちに迷惑をかけ、導くどころか、手こずらせてばかりでした。
私にとって石田純一は、ただの夫婦ではなく、毎日驚かされ、生涯の反面教師でした。
都知事選出馬騒動、コロナの感染症騒動、人事と信じたい数々の経験をしたことは、私の心に今も生き続けています。
とはいえ、家族としての彼の役割は、はかり知れないものでした。
毎朝、子供たちを送り届け、休みの日には七十歳とは思えないほど全力で遊び、また、大人になった壱成くんやすみれちゃんからも慕われて、愛されました。
この悲しみの中でも、石田純一の継げる部分の意志を継ぎ、前に進むことが私たちにとっての最大の敬意であり、彼の人生を讃えることだと確信しています。
彼の愛と教えは私たちの心の中に永遠と生き続けるでしょう。
最後に、石田純一のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
ありがとう、そして、さようなら。
あなたの愛と記憶はいつまでも私たちの心に留まります。
心より、感謝を込めて」
石田さん:この弔辞を聞いて胸が熱くなりましたよね。21歳も年上の僕と結婚して子どもたちを産んで、にぎやかな家庭になって。いっぽうで、コロナに対する考え方や生活スタイル、理子の常識と僕の常識が違うから、理子が思うような夫ではなくて、至らない夫ですみません…と思いながら。
── 石田さんが理子さんに弔辞を書くとしたら、どんなことを書きたいですか?
石田さん:やっぱり「ありがとう」と「ごめんなさい」ですかね。理子と結婚して楽しい時間を過ごせて感謝しているし、理子がいる安心感は大きいです。僕が先に亡くなった後も、理子がいてくれるだろうなとも思うし。でも、僕がいなくなった後に経済的な不安を感じるかもしれないし、寂しい思いをするかもしれない。しないかもしれないけど(笑)。でも「一緒にいてくれてありがとう」かな。