「人生これからなのに」父の気持ちを思うと
── その後、病状はどのように推移したのでしょうか。
雅美さん:免疫療法の先生も「泌尿器科でもきちんと治療を受けたほうがいい」と、勧めてくださったのですが、父は「がんである自分」を直視するのが怖かったのか、病院から足が遠のいてしまいました。
そこから10年ほどは、見た目には元気に過ごしていたんです。でも、2015年に長男が生まれたころには、病状がかなり進行していて。入退院を繰り返すようになり、ホルモン療法や抗がん剤による治療も始まっていました。最終的には全身にがんが転移し、ステージⅣだと告げられました。それでも父は、つらい副作用と闘いながら、そのたびに驚異的な生命力で持ち直してくれたんです。孫の顔を見ること、そしてブログの応援コメントを読むことを糧に、最後まで懸命に生きていました。
── 副作用で外見が変わり、外に出られなくなってしまった時期もあったそうですね。変わりゆく父親を見るのは、雅美さんにとっても、つらいことだったのではないでしょうか。
雅美さん:もちろん私たちもつらかったのですが、それ以上に父自身が、がんになったことを「恥ずかしい」と感じてしまったようなんです。亡くなったのは69歳ですが、精神的にいちばん追い詰められていたのは60代前半でした。周りの同年代はまだまだ現役で働いていたり、退職して旅行を楽しんでいたり、「人生これから」という時期ですよね。
そんななかで、自分は抗がん剤で髪が抜け、体もやせ細っていく。周りと自分の現状を比べて、みじめさを感じてしまったようで、知人などすべての連絡や交流をシャットダウンして、殻に閉じこもってしまいました。「こんな病気の俺が元気な人と会っても、気を使わせるだけだ」と。
母が「何も引け目を感じることはないよ。一生懸命に治療してるんだから、堂々と外に出ればいいじゃない」と励ましても、かたくなに拒んで。そんな日々が長く続き、心まで弱ってメンタルクリニックに通うほどでした。あんなに快活だった父が小さくなっていくようで、見ている私たちも苦しかったです。