「ヒョウ柄」に対して「邪道」の声も

マダム信子
起業や会社経営ほか講演会で話をするマダム信子さん

── そこから快進撃が始まったんですね。マダムシンコの代名詞とも言えるのが、あの「ヒョウ柄」のパッケージ。ひと目でブランドがわかる、スイーツでは前例のない大胆なデザインです。どのようにして生まれたのでしょう。

 

マダム信子さん:もともとアニマル柄は、水商売時代からの私のトレードマークでした。人と同じことをしていては埋もれてしまう。当時、高級洋菓子といえばエルメスのようなオレンジ色の箱がひとつの正解のようになっていて、多くの店が似たような柄のパッケージを採用していました。でも、知名度のない後発の私たちが同じことをしても、印象には残らないでしょう?だからこそ「絶対にアニマル柄でいきたい」と決めていたんです。

 

複数案を用意してお客さまに投票していただいたところ、ダントツ人気がピンクのヒョウ柄だったんです。派手で目につくから、すぐに覚えていただける。それで一気に有名になりました。

 

ただ、同業者からは「奇抜だ」「邪道だ」と、ずいぶん叩かれましたね。そんなとき、スイーツ業界の大先輩であるムッシュマキノの牧野眞一さんが「それは絶対、貫いたほうがいい。プロである僕らにはない発想で、うらやましい」と、エールを送ってくださって。この言葉が私の支えになりました。

 

── あえて「邪道」といわれる道を選んできたわけですね。

 

マダム信子さん:私の人生ずっとそうなんです。銀座で店をやっていたときも、邪道だと言われ続けてきました。メニューも接待も、すべて自分流。でも、邪道だと批判されることは、裏を返せば「誰もやっていない」ということ。そこに成功のヒントがあるんです。既成概念に囚われず、自分がいいと思うものを突き詰める。それが私のポリシーでもありますね。

 

── その後、事業は順調に拡大し、年商100億円を見据えて新工場を建設されました。ところが、完成直前に大きなトラブルに見舞われたそうですね。

 

マダム信子さん:工場の要となるポジションを任せていた4名の社員が、オープン直前に一斉に辞表を出したんです。「僕たちはもう大人になりましたから」と。手塩にかけて育てた社員がノウハウを盗んで独立し、それぞれが店を始めました。信頼していただけに、この裏切りは堪えましたね。でも表面的なノウハウはコピーできても、商売の本質まではマネできなかったようで、彼らが立ち上げた事業はすべて失敗したと聞きました。

 

「マダムシンコ」が今日あるのは、お客さまと、支えてくれたスタッフのおかげです。本当にみんなよく働いてくれました。本来は、たとえ辞めたとしても行き来できる関係がいちばんいいと思うんです。でもそれができなかった。やめると言い出せない空気を私自身がつくってしまっていたのかもしれないなと、振り返って思います。だからこそ、それ以降、去っていく子には「いつでも帰っておいで」と伝えてますね。