関西を中心にバウムクーヘンでお馴染みの「マダムシンコ」の創業者、マダム信子さん。ヒョウ柄を愛用し、ゴージャスで華やかな雰囲気がある信子さんですが、幼少期は家庭が貧しく、母親が韓国人であるという理由でいじめも経験してきました。
極貧時代に母が作った唯一のごちそうが今の原点

── 関西を中心に一大ブームを巻き起こした「マダムシンコ」のバウムクーヘン。マダム信子さんは2006年の創業から74歳になる今なお、経営の最前線に立ち続けていらっしゃいます。全身ヒョウ柄の華やかな装いと、メディアで見せる豪快なキャラクターが印象的ですが、その人生の出発点は、現在の姿からは想像しづらいほど厳しい日々だったといいます。どんな子ども時代をすごされていたのでしょうか。
マダム信子さん:家はかなり貧しかったです。父はダンプの運転手で朝から晩まで働いていましたが、きょうだいが多く、食べていくだけでもひと苦労でした。長女の私は家計を支えるために毎日、親の手伝いをしていました。
家で豚を飼っていたのですが、そのえさを集めるのが私の仕事。母と一緒にリヤカーを引いて、料亭やスーパーを回って残飯をもらうのが日課でした。その残飯は、豚だけでなく、私たち家族の食糧でもありました。少し傷んでいるけれど、まだ食べられそうなものを選り分けてきれいに洗い、きょうだいで分け合って食べるんです。ですから私は、残飯に育てられたようなものです。それでも栄養なんて十分に取れないから、当時の私はガリガリにやせていましたね。
子ども時代、唯一のごちそうだったのが、母が誕生日に焼いてくれるホットケーキです。バターとメープルシロップをつけて食べるあの味が、のちのマダムシンコのバウムクーヘンの原点です。