就職浪人までして勝ち取ったアナウンサーの道
── アナウンサー教室に通い始めて、変化がありましたか?
竹中さん:それまでは地元から出たことがなかったので、自分で夢を見つけて将来の道を選択するという感覚がわかりませんでした。でもアナウンス教室には、夢に向かって頑張っている人が集まっていて、すごく輝いて見えて。「現実的な目標じゃなく、なりたいものを目指していいんだ」って気持ちが変わりました。アナウンス教室で原稿を読んだり、朗読の練習をしたりするのもすごく楽しくて。そこからどんどん「アナウンサーになりたい!」という気持ちが募っていきました。
ただ、大学4年のときは80社くらい受けたものの、どこにも受からなくて…。どうしても新卒枠で就活を続けたかったので、卒論だけ単位を通さないでほしいと大学側にお願いし、1年間休学して就活を継続することにしました。

── 就職浪人を選択したのですね。ご両親はどんな反応を…?
竹中さん:親に相談したら、初めて家族会議が開かれました。それまでの私は親に自分の夢を語ったり、「これがやりたい」ってお願いをしたことがなかったんです。初めて「どうしてもアナウンサーになりたい」って伝えたら、両親は「そこまで気持ちが固まっているのなら留年しなさい。ただし1年だけだよ」と許してくれました。
── 本当に就職できるか、不安ではなかったですか?
竹中さん:「こんなに求人があるのなら、どこかに受かる」ってポジティブにとらえていました。もちろん、不採用になると自分を否定されたような気持ちになったし、ストレスでヘルペスができたこともあります。でも、同じアナウンサー志望の仲間たちが、どんどん内定をもらって就活を卒業していく姿を見るのは、素直にうれしかったですね。みんなで喜んで「私も頑張るね」って励みになりました。当時、同じ目標をもつ仲間と出会えたのは大きかったです。
── 引っ込み思案で自分に自信がないタイプとなると、マスコミの就職活動は特に大変だったのではないでしょうか。
竹中さん:自分に「できる」って暗示はかけていました。 引っ込み思案や人前であがってしまう弱点を克服しないと、そもそも面接で通るのは難しいじゃないですか。自分に自信を持つために、自己啓発本はたくさん読みました。笑顔の練習をしたり、鏡を見ながら、「今日もかわいいよ」って自分に話しかけたりもしましたね(笑)。