娘が「だったら切ったらいいんじゃない?」

キャロットyoshie.
事故から約1年後、入院中の様子

── 10数時間に及ぶ手術をされたそうですが、目が覚めたときのことは覚えていますか?

 

キャロットさん:夕方5時過ぎだったのかな。集中治療室で目を覚まして、「生きてた…。命は助かった」と思いました。同時に吐き気が凄くて、右足が熱くて痛みがすごかったです。体に点滴の針が刺さっていて、下半身が拘縮(こうしゅく)しないようになのか、右足の先に重りが着いていて、ベッドから垂れ下がっていました。娘が集中治療室に入ってきたとき、まだ意識が朦朧としていましたが「ごめんね」と言ったような気がします。

 

── 医師からどんな説明を受けましたか?

 

キャロットさん:右腕は病院に運ばれたときにすでになくなっていて。捻りちぎれたらしく、断端面(切断した面)を綺麗にするために処置したそうです。そのときか後日か記憶が曖昧ですが、切断された右腕は一緒に病院に運ばれましたが、くっつかないと言われました。また、骨盤や右の大腿骨から右膝から下も骨折しているなど、いろいろ説明されたと思います。

 

先生の話を聞きながら、「右腕がないのはしょうがない。お店も閉めないといけないし、いつまで入院するのかわからないけど、店の家賃が発生するから早々に手続きをしなきゃ」とか、いろいろ頭を巡りました。でも、私が娘に頼む前に、娘が全部対応してくれたんです。美容室のお客さんはほとんど地元の常連さんでしたが、娘がお客さんに電話をして事情を話してくれたり、店の前に閉店のお知らせの張り紙をしてくれたりと、娘の友達、私の友人・知人達にも協力してもらいながらかなり動いてくれました。

 

── すごくしっかりした娘さんですね。

 

キャロットさん:そうですね。事故にあってから一度も私の前で涙を見せたことはないんですよ。見えないところで泣いていたのかもしれません。事故にあう前は、学校が休みのときはよくお店に来て、手伝いをしてくれました。電話に出て予約対応をしてくれたり、タオルを洗ってくれたり。お客さんも「今日は娘さんがいるな」とわかると差し入れを持ってきてくれて。「お弁当作ったからここに置いておくね」「旅行のお土産持ってきたよ」など、お客さんにもすごく恵まれていました。仕事にやりがいを感じていたし、忙しくても充実していたんですけど…。

 

── 事故から1週間ほど経過すると、病院でカンファレンスという話し合いの場があったそうですね。医療従事者とキャロットさん、娘さんで今後の方針について決めていくなかで、右足の切断についても話をしたとか。

 

キャロットさん:右腕は事故にあったときに切断されましたが、右足は残っていました。ただ、「右足が今後、感染して壊死する可能性がある。手術を繰り返して、もしかしたら歩けるようになる可能性もあるけどいつになるかわからない。その間、壊死や切断の不安を抱えながら過ごすのなら、早い段階で右足を切断して義足をつけることで、早期に社会復帰できる」と言われました。

 

すると、話を聞いていた娘が「だったら早く切って義足にして、社会復帰したほうがいんじゃない?」とアッサリ言ったんです。娘の言葉に私も先生たちもびっくりして、「私の足がなくなったら、あなた(娘)のお世話になることになるのよ」「わかってる」と。それでもすぐには即決できなくて、その後、いろいろ考えた結果、事故から4か月後に右足を切断することになりました。