3つの病院を入院し、事故から2年半後に無事退院
── 覚悟を決めたと。事故から4か月後の2016年2月に右足を切断されましたが、手術をした日のことは覚えていますか。
キャロットさん:はい。娘は「頑張ってね」と見送ってくれました。手術が終わって病室で目を覚ますと、吐き気がすごいし、足が重くて熱くて、熱湯に浸かっているような感じでした。全身痛くて、とくに断端の激痛で耐えられず、先生に「すみません、大声出していいですか」と聞いてから「痛い!!」と、大声で叫びました。
しばらくは自分で寝返りを打つこともできず、看護師さんに体のポジションを整えてもらいました。痛み止めは効かないし、処置してもらうときも傷口をグリグリえぐられるような痛みで夜も眠れなかったです。また、手術をする前からリハビリを行っていましたが、傷口が感染したり、植皮をしたりと手術を繰り返し、そのつどリハビリが止まりました。
── かなり壮絶な状況ですが、キャロットさんのメンタルはいかがでしたか?
キャロットさん:事故当時は冷静だったつもりですが、入院して徐々にパニック障害やPTSD、フラッシュバックなどの精神症状が出てきました。入院とともに精神科の先生がついてくれましたが、退院した後もしばらく苦しみました。
心が何度も折れかけました。それでも、ギリギリのところで前を向けたのは、やっぱり娘の存在が大きかったですね。娘が懸命に支えてくれるから、泣いてはいけないと。20回以上手術をして、そのたびに心身のダメージは強く、言葉にできないような苦しみがありました。でも娘の顔を見ると頑張ろうと思ったし、医療従事者の方々、3匹の愛犬、友人や知人、お店のお客さま、私に携わってくれた方々も私のために頑張ってくださっているのがわかるから、リハビリも頑張れたと思います。
入院生活は2年半に及びました。事故にあって搬送された救急病院と、その後、転院した一般病院、リハビリ病院と計3つの病院に入院して、事故から自宅に戻ったのは2年半後の2018年の春でした。退院後も新たな試練が待っていましたが、まずは退院できたこと。娘や周りの人々に感謝しながら一歩前進できた瞬間でした。
取材・文/松永怜 写真提供/キャロットyoshie.