「人生でいちばん大切なのは、君たち3人」
── お父さんは、矢野さんたちと一緒に過ごす時間を大事にされていたのでしょうね。
矢野さん:そうですね。父はガーナから日本に移住後、一級建築士としての実績を活かして建設会社で仕事ができたのですが、その後、起業してからはすごく苦労したみたいで。今なら、その気持ちが少し理解できるかもと思うんです。なぜなら僕自身、仲間や家族と過ごす時間にすごく救われているから。年齢を重ねると、そのぶん伴う責任も大きくなって、黙って飲みこまなければいけないことも増えていく。そんなとき、家族や身近な友達という存在にいかに救われるか、人間としての成長とともにわかってきた気がします。
もちろん僕は、父親が何度も会いにきてくれたことにはすごく感謝しています。ただ、父が起業後、苦労していたときには、父は僕たちとの束の間の団らんで嫌なことを忘れることができたのかなとも思うんです。人としての大事な時間を取り戻すことができたのかもしれないと。そういう意味では、父も僕たちも、いい意味でお互いを必要としていたのかもしれません。
── きっとそうなのではないかなと思います。
矢野さん:僕たち、大人になってから父に何度か聞いたんです。「僕たちはお父さんにとってどんな存在?お父さんの人生でいちばん大事なことは何だった?」って。そんなとき、父がいつも迷うことなく断言していたのが、「この人生でいちばん大切なのは君たち3人だね」ということでした。
父は「ガーナで、家族みんなで生活していたときが、人生でいちばん幸せだった」とも言っていました。日本に来てからたくさん苦労してきた父にとって、僕たち子ども3人との時間は、人間としての時間を過ごせた、かけがえのない時間だったのかなと思います。そう言ってくれる親がいることは、すごく恵まれていたことでもあると思います。

── お父さんに、矢野さんたち兄弟を長く児童養護施設に預ける決断をした理由を聞いたことは…?
矢野デイビットさん:それが…最後まで聞けなかったんです。でも、当時の状況では、一緒にいるとかえって僕らがつらい思いをすると思っていたんだと思います。僕たちと初めて児童養護施設に行ったとき、施設の職員と話をして、「あの人たちだったら安心してお願いできる」と思ったと、のちに話してくれました。
それにしても、不思議だなあと思うのですが、僕らはずっと「お父さんがいる家に帰りたい、また一緒に暮らしたい」と伝えていたつもりでした。児童養護施設に迎えに来た父の家に泊まるたびに、「この家にずっといたい」って言ってたんですよ。でも、父には伝わっていなかったようで「そんなふうに思ってるとは思わなかった」と後年言われました。
18歳で児童養護施設を出たあとは、父のもとへ戻ったんです。別居した父と母がやり直そうとしたタイミングでもあって。でも、長く離れて暮らしていたせいか、しばらくするとうまくいかなくなってしまいました。母は結局もともと暮らしていたガーナに戻り、父と僕のふたり暮らしになりました。