8歳から18歳まで児童養護施設で過ごした経験を持つミュージシャンの矢野デイビットさん。生まれ育ったガーナに幼稚園と中学校を作るという偉業を達成しました。父に「なぜ自分を施設に預けたのか」という思いもあったそうですが、今はその気持ちがわかるといいます。
息子に会いに毎週のように施設を訪ねてきた父
── 矢野さんは、6歳のころ家族で日本に移住した後、8歳から18歳までお兄さんと弟さんと一緒に児童養護施設で生活をされたそうですね。
矢野さん:来日後に両親が別居し、いったんは父方に引き取られました。ただ、当時父は仕事で海外に行くことが何度もあり、時間的にも精神的にもひとりで僕たち3兄弟を育てる余裕がなかったようで…。結局僕らは、児童養護施設に入所することになりました。10年間施設で生活しましたが、たぶん僕の父が誰よりも面会に来てくれていたと思います。少なくとも1か月に1回、多いときは毎週のように「今週末、うちに泊まろうよ」と僕たち3人を迎えに来て、自宅で一緒に過ごしていました。

父がたびたび来てくれて、僕としてはとてもうれしかった。ただ、職員さんたちは他の子たちに配慮していたようで、父は「事前に電話をくだされば息子さんたちに伝えますから、他の子どもたちに姿が見えないように駐車場で待っていてください」と言われたそうです。施設にいる子どもたちはいろんな事情を抱えていて、なかなか親に会えない子も多かったので。頻繁に会いに来る父や僕ら兄弟の姿を見て、嫌な思いをする子もいるかもしれないと。「憎しみが暴力というかたちでデイビットたちに向かうかもしれない」という心配と「親に会えない子どもたちへの気遣い」があったようです。
── たしかに複雑な心境になる子もいるかもしれません…。とはいえ、矢野さんたちにはうれしい時間だったでしょうね。
矢野さん:毎年、夏休みはいつも自宅に帰っていました。父の家で1か月くらい過ごしたこともあって、すごく楽しかったですね。父がお盆休みを取れるときに海や旅行に何泊か行ったりして、思い出もたくさんあります。
父は僕たちのことを知ろうとして、大好きな漫画をリサーチしてくれたり、逆に、父の大好きな甲子園で一緒に野球観戦したりもしました。どのチームが勝つか賭けて、「勝ったらレンタルビデオ屋で好きなアニメを借りていいよ」と言ってくれたり。今振り返ると、僕たちと共通の話題を探して、一緒に楽しく過ごせる工夫をしてくれていたんだなと思います。やさしい父でした。