プロボクサーになるまでは「逃げる人生」だった

── まだまだ甘えたい幼少期に親と離れて生活したり、10代後半には出産や離婚といった大きなできごとが重なったんですね。シングルマザーとしては仕事もしていかないといけない状況でしたよね。

 

葉月さん:そうですね。でも、昔の私は「逃げグセ」があって、仕事はもちろん、何をしても長く続かなかったんです。施設にいたときに、有名なスポーツ選手が訪問してくれた機会があったんですけど、「夢は叶うんだよ」と言われても、「いいや、あなたは恵まれた人じゃないですか」みたいなふうに思って、ちょっとひねくれた考え方をしていた自分がいて。

 

そんななかで、30歳を目前にしたころ、ボクシングを始めるきっかけがありました。当時働いていた職場の社長がボクシング経験者で、サンドバッグが事務所にあったんです。そこで運動がてら、やってみたんですよね。私の弟が自死をした時期でもあり、物にあたることでどこかにつらい思いをぶつける、気持ちをそらすという面もあったと思います。

 

そこから自分が変わり始めたんです。弟の死で自分の人生を見つめ直した部分がありましたし、息子にも努力している姿を見せたいと思い始めました。ボクシングで世界を目指す自分を想像したら鳥肌が立ったので、職業としてピンとくるものがあったんだと思います。それからですね、「逃げる」ではなく「立ち向かう」というスタンスを取り始めたのは。

 

そして子どものころ、有名なスポーツ選手に対して「あなたは恵まれた人」とひねくれていた自分を知っているからこそ、いま児童養護施設で過ごしている子どもたちにも、「施設出身のプロボクサーとしてリングに上がっている私」を通して、夢を見せてあげたい、目標になりたいなって思っています。

 

葉月さな
さまざまな企業に支援されているのがパンツに貼られたスポンサーロゴでわかる

── 育った児童養護施設にも貢献されていますよね。

 

葉月さん:直接、子どもたちにお話しさせてもらった機会は一度だけですが、試合ごとにクオカードをつくって、施設に持って行ったりしています。その際、園長先生にも近況報告をして。「同じ教遇で育って、しかもフラフラしていた人間が、自分の気持ちひとつでここまで来られる」っていうのは、不可能はないことの証明になるんじゃないかと思っています。

 

私が有名になることで世間の方々が児童養護施設を知るきっかけにもなると思いますし、境遇は関係なく、目標に向かってただしっかり進んでいけば、実を結ぶときがやってくる。これはきれいごとではなく実体験です。私という存在を通して、「努力を続ける姿勢」というものを、同じ境遇で過ごす子どもたちにも伝えていきたいです。

 

 

葉月さんがボクシングを始めた理由のひとつは、息子さんへの負い目があったから。17歳で出産し、その後に結婚や離婚を経験。シングルマザーとして仕事や子育てに励むも、やはり子どもに寂しい思いをさせていたなどの思いも。「嫌なことがあれば逃げてばかりの人生だったけれど、そんな自分ではいざというときに息子を支える存在にはなれない。そのためにはまず、自分が何かに向かって頑張らないといけない」と思ったそう。それまで運動未経験だったにも関わらず、ボクシングにのめり込み、30歳でプロデビュー。令和元年にはOPBF女子東洋太平洋ミニマム級王座に挑戦し初のタイトルを獲得するなど、活躍を続けています。

 

取材・文/高田愛子 写真提供/葉月さな