不安を抱えた舞台で見えた光景は
── いろいろな感情が一気に押し寄せて…。コンサート当日はどのような気持ちで望みましたか?
辛島さん:コンサートはものすごく段取りが多いので、忙しさのなかで悲しみの現実に蓋をすることもできました。いっぽうでこんな気持ちで歌えるのか、何かの拍子に途中で崩れてしまったらどうしよう、と心配でした。
── その後、予定通りコンサートが始まって。
辛島さん:コンサートがどんどん進行していくなか、途中で不思議な気持ちになったんです。舞台にスポットが当たっていて客席は暗いのですが、なぜか客席がパーって明るく見えた瞬間があって、なんとなく守られているような気持ちになったんです。もちろん父が光を照らしたわけではないですが、あ、私は大丈夫、1人じゃないって思えたんですよね。自分でも不思議なんですけど。
そのまま、途中で崩れることもなく最後まで歌いきり、無事にコンサートが終わりました。父が亡くなったことはコンサートが終わるまで、スタッフの誰にも伝えませんでした。父のことを聞いたらみなさん気をつかうでしょうし。コンサートが終わって、打ち上げの乾杯もして(笑)、帰りの車に乗っているときにマネージャさんに「お父さん、どうなりました?」と聞かれて、あ、そうだった、と思い出して。「実はね」と伝えた感じです。
── ご両親はとても仲がよかったそうですが、お父さんが亡くなられて、お母さんの落ち込みは激しかったそうですね。
辛島さん:母はもともと明るくて笑い上戸でおしゃれが大好きな人でした。でも、父が亡くなって3年くらいはあまり外出もせず、笑顔が消えていたと思います。
── お父さんの介護も懸命にされていたとか。
辛島さん:そうですね。父は真面目でキッチリして優しい人でしたが、昔の人だから、家では父が家長としてドッシリ構えて母を支え、母はずっと父を立てていました。
でも、父が認知症を患って脳梗塞を発症すると、それまでと立場が変わり、今度は母が父を支えるようになったんです。父の物忘れがどんどんひどくなって、介護が増えていっても母のなかでは父がいちばん上にいるのは変わらない。父は2回入院しましたが、母はものすごく寂しがり屋だから、病気でもなんでもいいからそばにいてほしかったと思いますね。
母は「お父さんが家にいれば、私が食事を作ってあげられるし、好きな服も着せてあげられる。でも、病院に入ると何もできない」とよく言っていて、自分の無力さを感じていたようです。父に一生懸命だったぶん、父が亡くなると、母が所在なさげになってしまった感じはあったと思います。