親族でない知人にも最後まで寄り添って

── お父さんが亡くなられてしばらく経ってから、叔母さんのお店のスタッフの介護をするようになったそうですね。
川﨑さん:叔母の店で長年働いていた、私も小さいころからとてもかわいがってもらいた方で、親戚のような存在でした。私が30歳のころに末期の胃がんがわかりました。その方は性同一性障害だったのですが、そのことをご家族は受け入れることができず、縁を切られていたようです。
身寄りがいないため、入院するにも緊急連絡先で記載できる人がいなくて。それで、私が緊急連絡先となり、入院中のお世話やケアを引き受けることにしたんです。
── お父さんの介護のときとは違いましたか?
川﨑さん:がんで闘病している人のメンタルが以前よりはわかっていたので、父のときよりも精神的に少し余裕があったと思います。接し方がわかってきたというか。父もそうでしたが病気が進行していくとできないことが増え、イラだって周りに攻撃する、または気持ちが沈んでしまって、それを繰り返してしまいます。人によるとは思いますが、父の経験からそういうときは同調せずに、笑い飛ばすくらいのテンションのほうがいいのではと。そうすると相手も笑いに引きずられて、暗くなりすぎずにすむように感じましたね。
── 最後まで花音さんが寄り添っていたのですか?
川﨑さん:そうですね。病気がわかってもご家族からは関わりたくないと言われたので、「ならば私が最後まで介護をしよう」と覚悟ができました。その方にも「私がめんどう見るからね」と伝えると喜んでくれて、とても安心してくれたのを覚えています。血縁じゃなくても私がいることで安心できて、さみしくなかったのであればよかったです。
ただ、父のときと違ったのは、血縁じゃないと手続きで大変なことが多かったこと。医療行為に対する同意、自宅の処理、介護サービスの手続きなどの対応に時間がかかってしまうことが多く、望んだことをすぐに叶えてあげられないこともあったので、そのあたりはかわいそうなことをしたと思っています。