残された自分も後悔しない介護とは
── その後、叔母さんの介護もされたそうですね。
川﨑さん:5年ほど前に叔母が大腸がんになり、2025年に亡くなりました。叔母は夫や子どもなどの家族がいなかったので、私が最初から老後のお世話をするつもりだったんです。なので、病気がわかってからは通院や入院の手伝いをずっとしていました。
つき添いが必要になってからは、夫も叔母の介護をずいぶんサポートしてくれました。叔母が夫の舞台を観に行ったりしていたので、もともとふたりは知り合いだったのですが、通院のときに夫が車を出してくれたり、買い物を代わりにしてきてくれたり、外食できない叔母のために自宅でお寿司を握ってくれたり…。言葉で心配するだけでなく行動としてずっとサポートしてくれて、とても感謝しています。
── それはとても心強かったですね。
川﨑さん:夫は叔母が病気になり落ち込んでしまった母の話を聞くなどのケアもしてくれて。闘病中、母と叔母はよく姉妹ゲンカをしていました。私もついイライラしてしまうことがあったのですが、夫が第三者的な目線で俯瞰して見てくれることで、そういうトラブルがすごく減ったと思います。私と母と叔母のように距離が近すぎる人間だけでなく、第三者が冷静に見てくれることで、解決することもあるのだと学びました。
── これまでの介護経験が活かされましたか?
川﨑さん:そうですね。「叔母のために」というのはもちろんですが、「自分が後悔しないために」介護をしたと思います。介護は終わりがわからないので、イライラしてしまうこともあると思います。でも、後悔しても相手は亡くなっているので、それを挽回することができない。そして後悔が多ければ多いほど、ずっと引きずってしまうんです。だから叔母のときは後悔しないために、時間を惜しんでいろいろなことをしてやりきました。自分のなかで少しでも後悔のない介護ができれば、自分を責めずにすむのではないかなと思います。
取材・文/酒井明子 写真提供/川﨑花音