そのとき、夫がみずから解決に乗り出す

── その状況を、どのように解決されたのですか。
武藤さん:彼が、みずから居宅介護支援(自宅で必要なサービスを受けられる公的支援)を申請してくれたんです。ある日、「来月から、ヘルパーさんが来てくれるよ」と彼に言われました。それまでは他人の手が入るのをいやがっていたのに、私のことを考えてくれたんでしょうね。そのおかげで、朝の仕度をヘルパーさんにお願いすることができるようになって、私はだいぶラクになりましたし、家族の手を借りなくてもよくなりました。
── 将胤さんが、ご自身でヘルパーさんを手配してくださったのですね。
武藤さん:彼は、とにかく行動が早いんです。2016年には、ALS患者の現状を知ってもらうために「一般社団法人WITH ALS」という団体を立ち上げて、当事者として発信したり、ALSの人が使いやすい商品を開発したりする活動を始めました。
彼は、自分がやりたいことは、みずから企画して実現させる人です。ALSの患者さんは全身が徐々に動かなくなるのですが、目の動きが最後まで残るので、彼はメガネメーカーのJINSさんに企画を持ちかけ、目の動きで音楽や映像を操れるDJツールを開発して、今も「EYE VDJ MASA」として活動しています。2017年にドクターストップで博報堂は退社したのですが、今も会社にいたころより忙しくしています。
ただ、病気は徐々に進行しています。まず食事を口に運ぶことができなくなって、介助が必要になりました。安全のために夜間呼吸器をつけて、車いすを使うようになって…とサポートが必要なことは増えています。
── 木綿子さんの負担も大きくなったのではないですか。
武藤さん:夜間の見守りを含めた24時間介護が必要になってからは、公的な重度訪問介護を利用しました。でも、ヘルパーさんの人手がたりないこともあって、思うように彼が動けないことが多かったんです。私も夜のサポートに入りましたし、仕事中に呼び呼び出されることもしょっちゅうありました。
2019年には彼が重度訪問介護事業所「WITH YOU」を立ち上げて、サポート体制を整えてくれたのですが、コロナ禍で状況が変わってしまいました。「彼にコロナを移してはいけない」と私もピリピリしていましたし、昼夜逆転の生活の疲れもたまっていきました。家にいる時間が長いと、彼とのケンカも増えて…。思うように外出もできなくて、だんだんと何もする気になれなくなってしまったんです。今思うとうつ状態に陥っていたのだと思います。「このままでは一緒にやっていけないかもしれない」と思ったこともありました。
── おふたりの間で、話し合いはされたのでしょうか。
武藤さん:それまでは、私は自分の気持ちを彼にちゃんと伝えていませんでした。でも、あるとき、友人がうつ病になってしまったことに彼がすごく驚いているのを見て、「ポジティブに生きる彼には、ネガティブな気持ちがわからないんだな」と気づいたんです。「私の今の気持ちや状態を、彼に知ってもらわなきゃいけない」と思って、彼につらいことやいやだと思っていることを全部話したんです。
彼は私の話をただ聴いてくれました。彼は声を出すことができないので、文字盤を使って朝まで話し合ったこともあります。彼が、私の気持ちをあきらめずに聴いてくれて、受け止めてくれたことで、「彼とならやっていける」と思うことができました。彼はどうすれば私の負担を減らせるのかを一緒に考えてくれて、24時間のサポート体制を整えてくれました。