ようやくつかんだ役者の切符も乳がん発覚「ここで終わるのか」

── 映画『わが母の記』では、役所広司さんの妻役を演じました。終盤の場面で、一瞬にして心が凍るような赤間さんの演技がとても印象的でしたが、上映後、ステージ3の乳がんが発覚したそうですね。

 

赤間さん:はい。『わが母の記』の撮影が終了して、上映も終わって。いい作品でいいキャストに恵まれ、何よりいいポジションをいただけたことがありがたくて、「これから頑張っていこう」と思っていた矢先の乳がんでした。

 

若いころから続けてきた役者の道を半分諦めていたときに、やっと手にした切符だったのに、手にした途端、またシャッターがおろされるのかと。「ああ、やっぱり芝居の神さまに迎え入れられることはないんだ、拒絶されているんだ、やめろってことなんだ」と思いましたね。

 

それに、当時は「ステージ3の乳がん=死」と思っていたので、子どもたちの成長ももう見ることができないかもしれない。「もう、ここで終わるのか」と、帰りの電車で泣きながら、大きな絶望を味わったことを覚えています。
 

── お子さんたちは当時、おいくつだったのでしょうか。

 

赤間さん:長男が小学3年生、次男は小学1年生、長女は幼稚園の年長でした。子どもたちはまだ小さいのに、長男はがんのことが書かれた本を図書館で借りてきて、「これで病気のことを勉強してね」って言ってくれたりして。

 

お医者さんにはすぐ手術を勧められましたが、3か月待ってもらい、がんのことを調べまくったんです。仕事で衣装を着ることを考えると、全摘出はどうしても避けたかったので、部分摘出を選びました。手術ではがん細胞が取りきれなかった可能性があり、抗がん剤と放射線治療をマックスの回数やることに。1年半、治療に専念しました。

 

そして、15年継続する予定でホルモン治療を始めたのですが、私にはあまりにも合わなくてドロップアウト。副作用がもう本当につらくて。副作用が出ない方もいらっしゃるみたいなんですけど、私はお医者さんに「こんな思いをするんだったら寿命を縮めてもいいからこの治療はやめます」と伝えてやめさせてもらいました。

 

── 更年期のような症状も出ていたとか。

 

赤間さん:そうですね。おそらくホルモン治療の副作用が更年期の症状と重なったのかもしれません。電車に乗っていたら汗が急にどっと出てきたり、手足がこわばってリウマチのような症状が出て、階段の昇り降りすら難しくなりました。

 

精神の浮き沈みもあまりにもひどくて、子どもにもきつく当たってしまうし。きつい言い方をしてしまった後は落ち込んで涙が止まらなくて。そんな状況が3か月続いて、「これじゃ家族が幸せじゃないな」と思ったことも治療をやめた大きな理由です。「どうせなら楽しく生きたいな」って思ったんですよね。