「してはいけない無理」を身をもって知った
── 登山デビューは雪山だったそうですね。
野口さん:小学2年生のときに父と長野県の八ヶ岳連峰にある天狗岳に登ったのが登山デビューでした。父から「雪を見てみたくないかい?」と誘われたのですが、雪遊びの感覚で、「見てみたい!行く行く!」と。ところが向かった先は、極寒の雪山で、マイナス20度の猛吹雪でした。今のように性能がいい子ども用の登山服もなく、とにかく寒かったです。一面雪景色でこの先どこを歩くのかもわからず、指先が冷たすぎて痛くなってきたので父に助けを求めました。ところが父は、「いいかい、指が痛いってことはまだ感覚があるということ。だから大丈夫」と。
そこから凍傷について話をされたのですが、「ひどくなると指の感覚がなくなって、黒くなって指が落ちてしまうこともあるから危険なんだ」と。でも、当時8歳の私は、ただ自分の手を温めてほしかっただけでした。父に助けを求めたのに、返ってきた言葉はよくわからないし、何もしてくれない。そこから父に助けを求めることをやめて、「私はまだ8年しか生きていません、どうか助けてください」と神さまにお願いしながら歩いていたのを覚えています。

── 8歳にして、ものすごい経験ですね。
野口さん:その後、頂上の下にある山小屋でランチ休憩をしたのですが、あたたかい部屋で食べた山菜ラーメンのおいしさは今でも覚えています。心まで染み渡るおいしさでした。子どもなので、おいしいものを食べたら一気に体力や気力が回復して。「よし、登ってやるぞ!」という気持ちになったのですが、そこで父から「今日は天気が悪いので、これ以上は行かない。頂上を目指すのではなく、ここから帰ることをゴールにするね」と言われました。
── せっかくやる気になったところで、引き返すことになったのですね。
野口さん:父にどうしてか聞いたら、「いいかい、絵子さん。山ではしていい無理と、してはいけない無理があります。もしかしたら帰れなくなってしまうかもしれないし、命の危険があるからこの先は行けません。山は決して逃げないから、また戻ってくればいいよ」と。
子どもながらに、「してはいけない無理って何だろう」と頭で考えながら下山したのですが、次の日に宿でテレビを見ていたら、私たちと同じ日に同じ山に行ったグループが遭難したことをニュースで知りました。子どもながらに、これが父の言う「してはいけない無理」なんだと、身を持って感じました。