吉本興業の美容番長として知られる芸人・シルクさん。かつては漫才コンビ「非常階段」として、相方・ミヤコさんと活動していましたが、37歳のときにミヤコさんが肺がんで他界しました。深いショックからシルクさんは顔面麻痺を発症し、仕事を続けられなくなります。長期休暇を取り、単身ニューヨークへ渡ることを決意。ミヤコさんのいない場所で、新しい生活を始めます。
相方・ミヤコさんがいない土地で

── お笑いコンビ「非常階段」として相方を組んでいたミヤコさんが37歳の若さで肺がんで亡くなった後、お仕事をしばらく休まれていたと聞きました。
シルクさん:ミヤコさんが亡くなってからの1年間は、毎日のように夢に出てきました。顔の左半分が麻痺して動かなくなり、精神的にもしんどくて仕事ができる状態ではなくなったんです。そこで長期休暇をもらい、ニューヨークへ向かいました。中学生のころからずっと一緒だったミヤコさんがいない土地で、自分の居場所をイチから探そうと思ったんです。
── 実際にニューヨークに行かれて、いかがでしたか?
シルクさん:大学を卒業してミヤコさんとコンビを組んで。芸人の世界に入ってからはずっと忙しく働いていました。だから、ニューヨークでは、今までできなかったことをたくさん経験したんです。時間に余裕ができたことで、スーパーで食材を買って自炊するようにもなりました。それまで自炊をほとんどしたことがなく、健康に気を使うこともありませんでした。でもミヤコさんが他界したことで「命ってなんだろう」と考える日々が続き、体を整えることにも興味を持つようになりました。自炊を続けるうちに、体調が少しずつよくなっていくのを実感できました。
── そうだったんですね。
シルクさん:ただ、ニューヨークに行っても、顔の左半分はけいれんしたままでした。そんなとき、街でフェイスエクササイズの教室を見つけて通うようになりました。するとそれまで薬でしか抑えられなかった麻痺が、フェイスエクササイズに通うようになって、3か月でなくなったんです。そこから、ますます食べ物や運動に興味を持つようになりました。
ニューヨークでは、本当にいろいろな体験をしました。ルームシェアをしていた友達の美容室で受付の手伝いをしたり、セントラルパークを歩いていたら、15人のSPを連れてジョギングするマドンナを目撃したり。スリにも何度も遭いましたし、夜中にピザを買おうとひとりで街を歩いていたら、銃を持った男に追いかけられたこともありました(笑)。知らない国で必死に生活するなかで、自分の心を少しずつ取り戻していったように思います。