余命6か月の肺がんと告げられた

── ミヤコさんは37歳で大病を患っていますよね。
シルクさん:37歳のとき、「肺気腫で入院した」という連絡があり、お見舞いに行きました。そこでミヤコさんのお母さんに廊下へ呼ばれて「実は余命6か月の肺がんだ」と告げられました。突然の告知でした。気づいたときには、かなり症状が進行していたようです。ご両親の「本人には最後まで希望を持たせたい」という意向もあって、ミヤコさん本人へは告知をしませんでした。
私は仕事以外の時間は毎日病院に通いました。病室で、構成作家さんとミヤコさんと私の3人で台本の打ち合わせもしました。「元気になったらこの仕事をやるんやで」と未来のスケジュールをどんどん立てていきました。希望をもってほしかったんです。
── ミヤコさんの体調はどうだったのでしょうか。
シルクさん:告知を受けたころはとても元気でしたが、アッという間に体重が減り、抗がん剤の影響で髪の毛も抜けていきました。周囲の人にも病気のことは伝えていませんでした。お見舞いに来る人がいたので、その人がミヤコさんの姿を見て驚いたり、余計なことを言わないように私が立ち会っていました。
「心配をかけたくないし、同情されたくない」というのがミヤコさんの気持ちでした。お見舞いの方と会う前には、ミヤコさんがやせて見えないように、私がメイクをしていました。
── 病室ではどのようなお話をされていましたか?
シルクさん:病室では、これからの2人の話をたくさんしました。本人の前では、できるだけ明るく振る舞いました。別の棟に、バイクの事故でリハビリしているカッコいい患者さんがいるから見に行こう!と、2人でこっそり見に行ったりもしました。学生のころに戻ったようで楽しかった。
ミヤコさんの前で元気に振る舞う自分と、やせていくミヤコさんを見て寂しくて悲しくて不安で押しつぶされそうになる自分がいて、当時は2人の自分を生きている感覚でした。2人の自分の狭間で心が耐えきれなくなって、家では夜にひとりでよく泣きました。それでも「ミヤコさんのほうがつらいんだから、私が泣いてもしょうがない」と自分に言い聞かせていました。