1年間、毎日同じ夢を見続けて顔は麻痺し
── つらかったですね。
シルクさん:ある日、韓国で1泊2日のロケが入ったんです。ミヤコさんのことがあるので私は行かないつもりだったのですが、ミヤコさんのお母さんに電話をすると「最近、調子がいいから気にせず行ってきて」と言ってくださったので、ロケに行くことに。帰国後はすぐに病室に向かいました。ミヤコさんは元気そうだったので「明日もまた来るね」と言って、その日は家に帰ったんです。
その翌朝、4時30分くらいに「ミヤコさんが他界した」とお電話をいただきました。私の帰国を待っていてくれたのかな、と思いました。モルヒネの効果もあって、最後は苦しまなかったとご両親から聞きました。

── 当時、記憶に残っていることはありますか。
シルクさん:ミヤコさんが亡くなってからの1年間、ほぼ毎日同じ夢を見ました。棺に入っているミヤコさんの隣で、私も一緒に横になっている夢です。2人で「いつ棺から出ていって参列者を驚かす?」と楽しそうに打ち合わせをしてるんです。そしてミヤコさんがみんなを驚かせようと棺から出ようとしたところで、必ず目が覚める。そんな夢を、1年間ずっと見ていました。
さらに、ミヤコさんが亡くなってから、私の顔の左半分が神経痛で動かなくなりました。ピクピクするのに表情が作れない状態で、仕事もままならなくなっていました。
── そうだったんですね。
シルクさん:ミヤコさんが亡くなってからお墓には毎日通っていたのですが、そんな状況だったのである日、「しばらくは来ないね」とお墓の前でミヤコさんに告げました。この出来事としっかり距離を取らなければ、自分の人生を生きられないと思ったからです。その後、大﨑さんに連絡をして「仕事ができる状態ではないので、芸人を辞めたい」と伝えました。大﨑さんは「吉本は多様な人間がいる会社だから、好きに働けばいい。辞めたらダメだ」と言ってくださいました。
そこで、まずは気持ちを整理するために長期休暇をいただき、ニューヨークに行くことにしました。生きる場所を変えようと思ったんです。美容師の友人とルームシェアを始め、ミヤコさんとの思い出のない土地で暮らすことにしました。知らない土地で新しい生活を始めたことで、心の傷が少しずつ癒えていきました。
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ミヤコさんとの思いを断ちきるため、仕事を休んでニューヨークに旅立ったシルクさん。ニューヨークでは、これからの人生についてゆっくりと考える時間を過ごしたそうです。
取材・文/大夏えい 写真提供/シルク