「ぎこちない2人が一生懸命なのがおもしろい」

── そんな経緯だったんですね。

 

シルクさん:そうなんです。2人で現場に行ったら、大﨑さんがダウンタウンさんと稽古をしていました。その流れのまま、大﨑さんとダウンタウンさんの前でネタ見せをすることになって。それが実質オーディションになったのですが、大学を卒業したばかりの素人が漫才をしてもおもしろいはずもなく。まったくウケませんでした。

 

浜田さんは気を使って、「ぎこちない2人が一生懸命やっているのがおもしろい」と、なんとかほめてくださいました。松本さんは、ちょっと口の端が歪んで笑ってくれたかな、くらいの反応でしたね。もうダメだと思いました(笑)。

 

── すごいシチュエーションですね。

 

シルクさん:でも運がよかったことに、当時ちょうど二丁目劇場をひらくことが決まっていて、「若手中心に舞台をやりたいから出ないか」と声をかけてもらえたんです。お試し期間として夜の部に週3回、立つことになりました。

 

2丁目劇場時代の写真

固定給にしてほしいと交渉し、クビを覚悟

── すごいですね。

 

シルクさん:その後しばらくして、正式に吉本興業に入らないかとお誘いを受けました。ただ、両親には大反対をされました。もともと教師を目指していたわけですし、食べていけるかもわからない世界ですから。ミヤコさんと一緒だからと、なんとか説得しました。ただ、「一般的な初任給の金額を稼げなければ、1年で辞めるように」と約束をさせられて。それで、ミヤコさんが会社に「私たちを固定給にしてほしい」と交渉してくれたんです。

 

そんな芸人は当時いなかったので、私は「こんなこと言って、クビだな…」と思いました。でも、結局15万円を固定給として毎月もらえることになりました。

 

── ミヤコさんの交渉力は素晴らしいですね。

 

シルクさん:ミヤコさんはどんなことも、しっかりと主張して進める人でした。おかげで、親の了承を得て芸人として働くことができました。

 

漫才の練習をする場所がなくて、私たちはいつもビルや建物の非常階段で練習をしていました。それがコンビ名の由来です。その後、ABCの新人漫才コンクールで最優秀賞をいただき、仕事もどんどん増えて、芸人として生活できるようになりました。

 

── 友達からコンビになったことで関係性は変わりましたか?

 

シルクさん:ビジネスパートナーでもありましたが、変わらず仲良しで大好きな友達でした。大学を卒業してすぐに舞台に立たせてもらったので、先輩芸人から陰湿な嫌がらせをされることもありました。私は「許せない!」と怒って文句を言うタイプでしたが、ミヤコさんから不満を聞くことは一度もありませんでした。

 

ミヤコさんは中学のころから変わらずおおらかで、「努力してきた人が、私たちみたいにこの世界に急に入ってきた人を見たら、そりゃおもしろくないよ。そこは理解しようよ」と言うんです。懐が深く、とにかく優しい人でした。