吉本興業の美容番長と呼ばれる芸人・シルクさん。大学卒業後、中学時代からの親友・ミヤコさんと漫才コンビ「非常階段」を組み、『ABCお笑い新人グランプリ』で最優秀賞を受賞。お茶の間の人気者となりました。しかし、人気絶頂の37歳のとき、相方のミヤコさんが肺がんと告知されます。

相方は中学からずっと私の大親友だった

── シルクさんは、ミヤコさんと「非常階段」というコンビを組んで漫才をされていました。ミヤコさんとの出会いを教えてください。

 

シルクさん:ミヤコさんとの出会いは、中学1年生のときです。隣の席になったことがきっかけで仲良くなりました。一緒にいるととても楽しくて、すぐに仲良くなりました。優しくてしっかり者でしたね。当時、授業中に女子同士でお手紙交換をしていたのですが、ミヤコさんに注意をされてやめさせられたりもしました(笑)。いい塾や勉強法を教えてくれるお姉ちゃんのようでもあり、親友でもあり、ときには頼ってくれる妹のようでもありました。

 

非常階段としてコンビを組んだ相方のミヤコさんと

── 仲良しだったんですね。

 

シルクさん:はい。当時、私の成績はクラスで後ろから8番目だったのですが、ミヤコさんと遊ぶようになってから一気に伸びました。ミヤコさんが1位、私が2位という高成績をとるようになって、私以上に私の親がミヤコさんに絶大な信頼を寄せていましたね(笑)。

 

高校・大学も同じで、2人で大阪外国語大学(現・大阪大学外国語学部)に進学しました。卒業後、私は英語の先生になる予定で、勤務先の学校も決まっていました。ミヤコさんは女優を目指してオーディションを受けていました。

 

── 別々の道を歩むんですね。

 

シルクさん:でも、ミヤコさんが劇団のオーディションに落ちてしまって。当時は漫才ブームだったこともあり、「お笑い芸人を目指そう」と言い出したんです。そこで「せっかくだから2人で注目されたい。一緒にコンビを組もう!」と誘われました。ミヤコさんが言うことだからと誘いにのって、そこから二人で漫才の練習を始めました。

 

しばらくして、漫才をするからにはどこかの事務所に入らないといけないということで、吉本興業に電話をしました。偶然、元会長の大﨑洋さんが出られて「今稽古をしているから来なさい」と言ってくれたんです。