自殺を思いとどまらせた伝説のドラマ

── 旅の途中で転機となる出会いがあったそうですね?

 

若井さん:旅を始めて半年が経ったころ、ミャンマーでひとり旅していた日本人のOLさんと移動のフェリーで隣になったんです。日本の状況を知らない半年だったので、日本のことを聞いたら、いろいろなことを教えてくれました。その話のひとつに、ダウンタウンの松ちゃんがドラマに出ているという話を聞いたんです。

 

僕はダウンタウンの松本さんのことが本当に好きで、数々の著書も読んでいたくらいのファンでした。著書では「ドラマには出ない、曲も出さない、映画も撮らない、お笑い一本でいく!」と言っていた松本さんがまさかドラマに出ているとは衝撃でした。「何があったんだろう?これは何か意味があるに違いない」と思って、どうしてもそのドラマが気になって観たくなったんです。すぐに往復チケットを買って1週間だけ日本に戻ることにしました。

 

友人宅で観たのが『伝説の教師』というドラマでした。ちょうど僕が見たのは松本さん演じる教師が自暴自棄になった生徒に対して「人間は何のために生きているのか」を教える回でした。「人間に唯一与えられた特権は笑うことだ。笑うために生きてるんだ」という言葉がめちゃくちゃ心に刺さって大号泣してしまって。笑うために自分は生きるんだ、と思ったら僕が松ちゃんに笑わせてもらったように、誰かのために人を笑わせられる人になりたいと思って、「自殺なんてやめて人を笑わす芸人になろう」と。それまで死に場所を求めて眉間にしわ寄せてつまらん旅をしていたわけですが、「次は、笑える人生になる旅をしよう」と完全に考えが変わって、再び海外に戻りました。

 

戻ってからはスリルを楽しむ旅が始まりました。「一か八か」みたいな過酷な旅をクリアできなかったら芸人になんて到底なれないだろうと思って、いろいろやりましたね。自転車でインドのベナレスからコルコタまで約900kmくらい移動したり、ヒッチハイクで中国の雲南省からラサ(ポタラ宮)へ行ったり、ヒマラヤ越えをしたり…。

 

── 普通の人がなかなかまねできないようなハードな旅ですね。

 

若井さん:ホテルも売店もないので、トラックに揺られて夜になったらそこで寝るような生活でした。ご飯はバターを溶かしたお茶だったり、大麦の粉をバター茶でこねて団子にしたものだったり、湖の水を沸かしたものだったり…。ドラム缶にたまった雨水も飲みましたけど、お腹を壊すことは一度もありませんでした。いろんな人と出会いましたね。言葉は通じないんですけど、相手の心が読めるように、不思議と理解できました。

 

── 芸人になると決めてから旅はいつまで続けたのですか?

 

若井さん:NSC(吉本興業の養成所)に行くしか芸人になる道はないと思っていたので、日本帰ったらNSCに入ろうと思っていました。なので、持ち歩いている全財産の中からNSCに入る入学金や新生活を始める資金として100万円を残しつつ旅をしていました。

 

後半の旅では自分のメールアドレスを作り、旅先のネットカフェから友人らと連絡を取るようになっていました。ある日、旅立つ前につき合っていた日本の元・彼女が友人づてにメールアドレスを入手し、メールを送ってきて、「来月バンコク行くから迎えに来て」と。それで彼女を迎えに行って、自分が半年以上過ごしたタイを10日間くらい案内しました。彼女が明日帰る、となったときに、芸人になることを決めたと話したら、「芸人になると決めたのにいつまで旅をするつもり?」と言われて。「このあとインドからさらに西へ移動して中東、ヨーロッパまで行けたらと思ってる」と話したら、「もう27歳だし、そんなことしてたらキリがないのでは?」と言われてハッとして。帰国便のチケットを急きょ取って一緒に帰国しました。