観客とミスマッチ「ガンダムネタ」がウケず

── それは大きなきっかけとなりましたね。帰国後、NSCにはすぐに入学できたのですか?

 

若井さん:そうですね。NSCの受験は、今は年齢制限がないですけど、当時は24歳までしか受けられなかったので、28歳なのに「24歳」と偽って受験しました。4歳引いた干支とかを覚えて面接に臨んだのですが、「君、24歳か。よっぽど頑張らな無理やで?」と言われて。心では「さらに4つ上だけど」と思いつつも、いろいろ旅で乗り越えてきたことが自信になって「わかってます、がんばります!」と答えました。普通に会話できたら合格だったんじゃないかなと思いますが(笑)。

 

── 若井さんといえばアニメ『機動戦士ガンダム』の主人公、アムロ・レイのモノマネで有名ですが、最初からこれをやりたいと決めていたのですか?

 

若井さん:最初は漫才をやろうと思ったんですけど、売れても売れなくても好きなことをやろうと。小学2年生くらいからやっていたガンダムの再現ごっこをイメージしました。劇場にレギュラー出演する権利やテレビ番組に出演する権利を獲得するオーディションは、お客さんが入っている舞台でネタを披露して合否が出るシステムでした。当時の劇場の客層である女子高生たちの前に「アムロ・レイです」と出ていったところで、まったくウケなくて。合格しない日々をしばらく過ごしていました。観客の世代がガンダムとマッチしなかったのもあるとは思います。でも、親の影響でガンダムを観たことある子がひとりいたらめちゃくちゃウケるはずと信じてやってました。

 

転機は「第2回R-1ぐらんぷり」(※2020年に「R-1グランプリ」に改名)でした。準決勝がNGK(なんばグランド花月)だったんですが、そこでドッカーンとウケて。「なんて気持ちいいんだろう」と思いました。あの瞬間は、いまだに忘れられません。

 

──「第2回R-1ぐらんぷり」の結果は、惜しくも準決勝敗退でした。

 

若井さん:舞台袖のインタビューでは「見事にトリを務めました。あとは決勝ですね!」と声をかけられて。さらにはR-1ぐらんぷり優勝者の衣装のタキシードの採寸までされたので「これは行けたのでは?」と思ったんです。現場で見ていた同期も「若井くんは行ったと思う」というから、自分でもそう信じて決勝進出の連絡を待っていたんですけど、連絡は来ませんでした。

 

それで自分でも改めて次の朝、5時ごろに近くのパン屋さんへスポーツ新聞を買いに行って、結果を確認したらダメで。それを見て「あれでダメならもう無理や」と、挫折みたいなものを感じました。翌年も出場するわけですけど、どこか自分では「もうムリだ」という気がして、意欲が低下したというか、やりきったというか。いちおうテレビに出られたし、名前も知ってもらえたし、低い山に登って満足してしまい、そびえる山に挑戦せず、という感じでした。しばらくは営業で食べてましたが、仕事も減っていき、仕事がなければバイトしたらいいかという気持ちでいたので、バイトを始めて…。

 

── しかし、本業以外のバイトで才能を発揮されたそうですね。

 

若井さん:アルバイトでキックボクシングジムでトレーナーを始めたんです。僕自身はキックボクシングの経験がなかったのですが、トレーナーとしてミット打ちとかやってきました。そしたらあんがいトレーナーという仕事が合っていたみたいで、もう10年くらいやっています。今はマヂカルラブリー・野田クリスタル発案のパーソナルトレーニングジム「クリスタルジム」で働いていて、エクササイズでのキッククラスを担当してます。自分の年齢も50を過ぎ、息切れするようになってきましたが、続けられるだけ続けたいところですね。

 

 

大人になって自分の気持ちに区切りをつけるべく母と16年ぶりに再会を果たした若井さん。会ってみて、もはや憎しみとか怒りはなく「完全に他人」と割りきれたそう。葛藤を経て実の母親であっても、無理をして関係を続けなくてもいいという思いに至った結論は同じ境遇の人にも伝えたいと話してくれました。

取材・文/加藤文惠 画像提供/若井おさむ