「死に場所探しのつもりで」全財産を持って旅へ

若井おさむ
荒んだ気持ちでさすらいの旅へ

── さすらいの旅に出ることになった経緯を教えてください。

 

若井さん:高校を出た後は、市場や居酒屋で働きながら一生懸命貯金をしてきました。そして、23歳のときに居酒屋をオープンしたんです。そのときはまだ若くて銀行にも相手にされず、自分で貯めたお金と父親の名義を使って物件を買って開業した形でした。お店では自分がそれまでバイトで覚えてきたメニューを出して、ありがたいことにすごく繁盛していました。

 

3年ほど経つころに、父親が常連として飲みに来るようになりました。しょっちゅう母親の悪口を言うので、そのたびに「早く離婚すればいいのに」と言うんですが「離婚したらお父さんは野垂れ死にや。財産も全部取られるしひとりで暮らせなくなる」と言うばかりで。そんな父親がある日「もうお母さんとは別れる」と言ってきたんです。それで、僕もこれで母とやっと縁がきれると思えて、父親に「ちゃんと財産分与など話をして弁護士つけないと、全部持ってかれるからね」といったら「わかってる」と。

 

しかし、父はその3日後にみずから命を絶ちました。離婚を決めたのに、なぜそういう結末を選んだのかわかりませんでした。僕は母親に対する憎悪が沸いて「あなたが殺したんだ!もうあなたたちとは縁をきります」と伝え、『自分は財産いっさいを放棄します』と念書を書いて判を押して手渡しました。僕はもう自分の店を頑張るだけ、母親たちとは関わらずに生きていこうと。

 

それから1か月くらい経ったころに兄貴から「財産分与だけど」と電話かかってきたんです。僕が「それについては、いらないと言ったんですけど?」と言ったら、「お前の店、お父さんの名義やろ?」と。つまり「よこせ」といって来たんです。それで「わかりました」と、その日に店を辞めました。店を続ける意思はありましたが、それくらい関わりたくなくて。

 

そういうことになり、「残された道は我慢ばかりで、我慢できなくなったら父のように死ぬしかないんや」と途方にくれました。まだ26歳で世の中を知らなかったから、そういう考えになってしまったんですよね。それで、♪さすらいもしないでこのまま死なねえぞ♪と。それまで貯めたお金500万円を札束でポケットに突っ込んで、旅に出たんです。

 

── 自暴自棄で出た旅だったことと思います。どちらへ向かわれたのですか?

 

若井さん:とりあえず唯一行ったことがある外国のタイへ行くことに。そこからタイ全土を周りラオス、ミャンマーへ。お金を銀行に入れてATMからおろす発想がなくて、普通に札束のまま持ち歩いて旅してました。安宿に泊まっていましたし、いつ盗られてもおかしくないような状況だったと思います。

 

ある宿ではベッドのマットレスの下に札束を隠して出かけたら、荒らされた跡があって。ベッドの下を確認したらお金は無事だった、ということもありました。そもそも「自分はどうなってもええわ」という旅だったから、それで焦ることもなくて「お金がなくなったら死ねってことか」という感覚で。今振り返ると頭がおかしかったんですよね。死に場所を見つける旅でしたからロープも持ち歩いてたんですけど、結局、洗濯物を干すのに使ってました(笑)。

 

── 持参した500万円のお金はいくら使ったのですか?

 

若井さん:1年3か月で300万円くらい使いました。本当は100万円くらいでできた旅だと思うんですけど。仲よくなったタイ人が「親が店を始めて『日本人の友達にお金を借してくれないか聞いてほしい』と言われて親とケンカした」と聞かされ、「『GTO』の鬼塚先生なら貸してそうだな?」という考えがよぎり、友人にお金を渡しました(笑)。また、その友人の大家族がサーティワンアイスクリームを食べたことないというから「好きなだけ食べて」と振舞ったりもして。自分は200円くらいの宿で寝泊まりし、数十円のごはんを食べるという生活でした。とにかく周りの人のためにお金を使っていました。でもお金をムダづかいしたという感覚はいっさいありませんでした。むしろ、人の役に立つのがうれしかったですね。