「通帳残高が600円」。26歳で2回目の離婚をしたMALIA.さん。当時、3人の幼い子どもを連れて離婚をしましたが、今までの暮らしから生活水準を下げることが難しく、お金に苦労したといいますが、そこで一念発起して── 。
生活水準が下げられず気づけば「残高600円」

── 現在はドバイで三男の7歳になる息子と2人で暮らしているMALIA.さん。ビューティーやアパレル、ジュエリーなど、5つの会社を経営していると聞きます。今でこそドバイで生活をされていますが、26歳で2度目の離婚を経験した後は金銭的に苦しい時代もあったそうですね。10代のころからモデルとして活躍していましたが、お金に対してどんな価値観を持っていたのでしょうか。
MALIA.さん:10代から自分の稼ぎでブランドもののバッグや時計をいっぱい買っていて、お金も時間も自由に使っていました。19歳で1回目の結婚をしましたが、それまで贅沢三昧で暮らしてきたぶん、金銭感覚を変えるのは難しかったです。今思えば、元夫はごく一般的な感覚を持っていたと思うんだけど、当時の私は「たかだかジュース1本買うのに、なんで安いもの買って節約しないといけないの?いちばんおいしいと思うものを買えばいいじゃない」と、元夫の感覚が理解できませんでした。
でも、1人目の夫と離婚して、26歳のときに2回目の結婚・離婚をすると、生活が一気に厳しくなったんです。
── 2009年に2回目の離婚をしたとき、当時7歳、4歳、2歳の3人のお子さんがいました。当時はどんな生活だったのでしょうか?
MALIA.さん:子どもを育てながら自分で稼がないといけない。でも、シングルマザーになって家計が厳しくなっているのに、なかなか生活水準を下げることが難しかったんです。自分のことはある程度、我慢できても、子どもたちに関わるお金は削りたくなくて、将来の選択肢を増やすためも、いろいろ習い事をさせていました。
でも、お金がどんどん厳しくなってくるとそうも言ってられなくなって、モデル時代に買ったバッグやプレゼントでいただいたアクセサリーを売ってお金にしたり、親に頭を下げてお金を借りたり…。小さい家に引っ越して家賃を下げましたが、今思えばもっと小さい家でもよかったと思っています。気づいたら貯金残高が600円になっていたときは焦りました…。安定した収入がなかったので、一念発起して自分で会社を起業することにしたんです。
── 初めての起業はリスクも伴いそうですが?
MALIA.さん:当時、ランジェリーメーカーの「ピーチ・ジョン」で、私がプロデュースしていたマタニティーブランド「Anela for Maternity」があったんです。そのブランドを独立させて、株式会社Anelaを設立しました。ピーチ・ジョンで2、3年プロデュース業をさせてもらったことで、自分の1年間の収入にも見通しが立ったんです。
そのままピーチ・ジョンでプロデュースを続けさせてもらえれば、リスクはなかったと思います。でも、3人の子どもを育てていくには、これだけではお金がたりないと思ったんですよね。だから、安心よりもリスクをとって独立することにしました。
── 起業後は会社の売上を順調に伸ばし、現在は5つの会社を展開されています。
MALIA.さん:おかげさまで。でも、ここまでの道のりはつらいことのほうが多かったです。子どもを守るために起業しましたが、会社が大きくなればなるほど、守らなければならない従業員の数も増えてくるんです。利益を出さなければ、と責任がつねに重くのしかかっているし、この数年でも従業員が大事な資料を持って転職してしまうなど、いろいろなトラブルにも遭遇しました。失敗しては学んでの繰り返しですね。