「亡き母に呼ばれた気が」民宿を継ぐと決意

── 人気絶頂期に、現在の姿を思い描いていたというのは驚きです。小浜島で民宿を経営すると最終的に決意するまで、宮良さんに影響を与えたのは?

 

宮良さん:いちばんの決め手になったのは「亡くなった母に呼ばれているかも」という感覚でした。うちは、母が民宿経営を担っていました。母はめちゃくちゃ働きましたし、僕の夢をいちばん理解し、応援してくれました。

 

僕が小学生のころ、母が竹富町婦人大会に出場して賞をもらった新聞記事がいまでも残っています。「いずれ私の子どもたちも島を離れるときもあるでしょう。 遠く離れて思うのは、やはり故郷の自然に恵まれた島々であり、古くから伝わる文化であり、島人(しまんちゅ)の素朴な人情なのではないでしょうか。 またいつかは帰るんだ。僕の故郷はあそこなんだ。僕という人間の根っこの部分はあそこにあるんだと。この島々で生まれたことに誇りを持って生きていってほしいです」という部分は、大人になったいまでも、母からの大切なメッセージとして受けとめています。

 

── お母さまの言葉は温かいですね。

 

宮良さん:小浜島は、現在も伝統行事を大切にしており、人情に厚く、人とのつながりを大切にする島です。東京にいたときも、島の文化や温かさをよく思い出し、母の言葉に何度も励まされました。小浜島に帰った直後は、長く島を離れていたので、島の行事などわからない部分もありましたが、まわりに教えてもらい、やっていくことができました。

 

ふり返ると、DA PUMP時代からまわりに「忍は帰れるところがあっていいなぁ」と、よく言われていたんです。そのときは実感がわかなかったのですが、帰る故郷があるということがどんなに素晴らしいことか、島に戻ってよくわかりました。故郷に戻るのは「負け」と考える人がいるかもしれませんが、僕の経験では決してそんなことはありません。