ダンスボーカルグループ・DA PUMPのSHINOBUとして芸能界で活躍していた宮良忍さん。いまは地元・小浜島で民宿業を営んでいます。元メンバーのISSAさんなど、現在も交流するなど良好な関係。それでも、後ろ髪をひかれることなく、キャリアを変えた真相を聞きました。

芸能活動中も小浜島がずっと根っこにあった

── 1997年、DA PUMPの「SHINOBU」としてデビューし、1998年から5年連続で紅白歌合戦に出場した宮良忍さん。地元・小浜島が舞台のNHKの朝の連続ドラマ小説『ちゅらさん』与那原誠役を想像する方も多いのではないでしょうか。宮良さんは16歳で小浜島を出て沖縄アクターズスクールに入学、デビュー後すぐに大人気を博しました。そもそも芸能界に入るきっかけはなんだったのですか?

 

宮良さん:中学1年生のとき、チャゲ&飛鳥さんに憧れて「自分も武道館の舞台に立つ」と、心に決めました。DA PUMPが順調に売れ、デビュー翌年には武道館コンサート。20歳前後でふつうではできない経験をさせてもらい、いいものを食べたり、あちこち連れて行ってもらったり、調子に乗っていた時期がありましたね。僕も人間なので(笑)。

 

仕事だけでなく、遊びにも忙しくて「37時間寝ない事件」というのがありました。千葉マリンスタジアムのライブを終えて、打ち上げに参加、その後ダンサーの先輩に呼ばれて熱海の白浜まで遊びに行って、都内に戻ったのは朝の8時。1時間だけ休んで、そこから写真集の撮影というスケジュールの1日を送った日のことです。実家は民宿を営んでいたのですが、全国からファンがたくさん訪れ、聖地のようになっていました。

 

── すごい人気だったのを覚えています。2006年の引退後、すぐ民宿を継ぐことを考えたのでしょうか。

 

宮良さん:しばらくは、東京の沖縄料理屋さんなどで三線ライブをしていたのですが、2011年ころに「民宿を継ごう」と真剣に考え始めました。というのも、実家の民宿が休業がちになってきたからです。うちはもともと母が民宿を切り盛りしていたんですよ。でも、僕が上京する1か月前に母が亡くなり、父や再婚相手の方が引き継いだものの、以前のようにはいかないことが増えてきました。これは、そろそろ自分が引き継ぐタイミングだな、と思ったんです。

 

宮良忍
引退後、東京の沖縄料理屋でライブを行う忍さん

── 民宿経営は、芸能活動からの大きなキャリアチェンジになりますね。

 

宮良さん:実家が民宿だったのもあり、僕のなかでは民宿経営は自然な流れなんです。いまでも覚えているんですが、じつは20歳前後に受けたある雑誌のインタビューで「40歳を超えたら小浜島に戻って、民宿を継いで、船の上で三線弾いて歌っている」と発言していて。ある意味、有言実行したことになります。芸能活動で忙しい時期でさえ、少しでも休みがあればすぐ地元に戻りましたし、小浜島がずっと僕の根っこにありました。