やっと診断名がわかって涙がでた

駒場はぐみ
小学4年生、アキレス腱延長の手術で2か月入院していたとき

── なかなか診断名が確定しないなか、はぐみさんには、身体の状態についてどう伝えていましたか?

 

夏希さん:「筋肉の病気だから動きにくいし、長時間歩けないんだよ」と伝えていて、あとは本人から痛みとか体の反応を教えてもらいながら対応していました。自宅から小学校まで大人の足で20分程度かかるので、小学校まで車で送迎をしていたんです。学校の廊下や教室を移動するときは車いすで、教室の中では装具を着けることに。車いすは「楽だから」と受け入れはよかったんですけど、装具は大嫌いでしたね。「装具をつけたくない。みんなと同じ靴がいい」って毎日言ってました。

 

── そうですよね…。小学校での様子はいかがでしたか?

 

夏希さん:周りがすごく穏やかな子どもたちが多かったので助かりました。2年生になると、担任の先生のほかにもうひとり、先生が補助でついてくれました。クラスの誰かが車いすを押してくれたり、休み時間にみんなが外に行っても残って一緒に遊んでくれる子がいたり。筋力の低下とともに、拘縮が進んで肘が伸びなくなってきたので、ロッカーに物を入れるのが難しいときは誰かが入れてくれることもあったようです。

 

その後、さらに拘縮が進んで首、肘、膝も固くなっていきましたが、足首に関しては4年生のときに手術をして、かかとが床に着くようになりました。

 

── 正式な診断名はいつくらいについたのでしょうか。

 

夏希さん:小学6年生のときに知人に紹介してもらって、筋ジストロフィーの患者会に入れてもらいました。そのなかのひとりから病院を紹介してもらって受診すると、『エメリー・ドレイフ型筋ジストロフィー』という診断がすぐについたんです。今までいくつも病院を受診しては「わからない」「確定できない」と言われ続けてきたので、先生から正式に診断名を告げられたときは「やっとわかった…」と思って涙がポロポロ出てきて…。

 

診断名がついたことでやっていいこと、気をつけたほうがいいこともわかったし、何より病気を理解している先生がいることに安堵して、長い暗闇からやっと光が見えた気がしました。はぐみ自身もすごく先生を信用していて、今まで先生と話をしても口数が少なかったんですけど、今の主治医とはよく話をしていますね。