「東京、栃木、埼玉と病院を巡っても、診断名が確定しなかった」。娘の身体に異常を感じ、いくつも病院を受診するも正式な診断名がつくまで10年以上かかったという、駒場はぐみさんの母、夏希さん。病名も理由もわからないまま、保育園、小学校と手探りで子育てをしてきました。
みんなが公園で2週走れるところ、半周でグッタリ

── 現在、中学2年生になる娘のはぐみさん。生後しばらくは順調に育っていましたが、のちに筋肉が徐々に弱っていく病気、筋ジストロフィーのひとつ「エメリー・ドレイフス型 筋ジストロフィー」の診断がつきました。現在は車いすと装具を併用しながら過ごしているそうですね。診断名が確定するまでかなりの時間を要したそうですが、始めは、いつ、どんな症状が出ていましたか?
夏希さん:はぐみが生後10か月ころ、41度の高熱が出て病院に連れて行きましたが、なかなか熱が下がらないので、大学病院を紹介されて受診しました。大学病院ではCK値(筋肉が収縮や弛緩するときのエネルギー代謝に関与する酵素。筋肉や脳に障害が起きると、血液中のCKが高くなる)が高いのが気になると言われ、1週間程度入院。熱は下がりましたが、CK値が高いままだったので3か月に1度受診して様子を見ることになったんです。
当時、家族で東京に住んでいて、私はアパレルの仕事を、夫は美容師をしており、はぐみを生後3か月から保育園に入れていました。しかし、その後もはぐみが頻繁に熱を出すため仕事に支障が出てしまい、はぐみが1歳2か月のときに、夫婦の地元である栃木に移住することにしたんです。夫は栃木で美容師を、私は仕事をいったん辞めて子育てに専念することになりました。
── 実家が近いところに拠点を構えて。栃木に移住後、はぐみさんの様子はいかがでしたか?
夏希さん:相変わらず風邪を引いてはよく熱を出していました。はぐみが3歳のころ、ほかの園児と比べて異常に汗っかきなので病院に連れて行くと、ここでもCK値が高いと言われました。栃木の大学病院を紹介されて受診すると、初めて「筋ジストロフィーの疑いがある」と言われて。埼玉の病院を紹介されて2か所受診しましたが、診断名は確定せず、いったん検査が終わってしまいました。
── 東京、栃木、さらに埼玉の病院で詳しく調べてもらってもわからなかったと。栃木に移住した後も保育園に入ったそうですが、保育園での様子はいかがでしたか?
夏希さん:保育園ではみんなと同じように歩いていたし、お遊戯会も楽しそうに踊っていました。でも、ほかの子とくらべて筋力が弱かったし疲れやすかったです。みんなが公園を2周走れるところ、はぐみは半周でグッタリしている感じでした。3歳くらいから拘縮(こうしゅく)、関節が硬くなって動きが制限されることを言うんですけど、その症状が足首に出てきて、足首がピンと伸びてかかとが床につかないようになってきました。明らかに身体症状に異変が出ているんですけど、病名がわからないのでどう対処していいのかわからず、私と保育園の先生で情報を共有しながら、手探りでできること・できないことを決めていました。
小学校に入る準備をするころにはさらに筋力低下や拘縮が進んでいたので、みんなと同じように歩き回るのは難しいと思って、障害者手帳を作ることにしました。医師が分類不明型筋ジストロフィーという名前で診断書を書いてくれて、車いすや両足の装具を作り、小学校に入るタイミングでリハビリもスタート。また、教育委員会に相談して、今後は車いすに乗るだろうと考え、学区外ですがエレベーターつきの小学校に入ることになりました。