「施設出身のモデル」として見出した道

── 短大時代は、つらい経験をされたのですね。

 

田中さん:それでも「施設を出て自由になったんだから、やりたいことをやろう」という気持ちはありました。姉の影響で、小さいころから『二コラ』とか『セブンティーン』とか、ファッション雑誌をよく読んでいたので、モデルに憧れていたんです。同じくらいの年齢の子たちが、かわいくてキラキラしているのを見て、「いいな」と。

 

お母さんと池袋へ出かけたときに何度かスカウトされたことがあったから、「私にもできるかもしれない」という気持ちがどこかにあったんですよね。施設にいたときは、そんなことは言い出せなかったのですが、「今しかチャレンジできないかもしれない」と思って、1枚だけ手元に残っていた名刺の連絡先に電話をかけたんです。

 

── それで、モデルの活動を始められたのですね。

 

田中さん:初めての仕事は、再現ドラマのエキストラでした。それからは、モデルのオーディションを受けたり、ときどきエキストラとしてドラマに出たりしていました。そんなある日、ミス・ユニバース茨城大会の事務局にいた知り合いの方に、「よかったら出てみない?」と声をかけてもらいました。「あなたは悩んだら出ないって言いそうだから、10秒で決めて」と言われて、やってみることにしたんです。

 

── 結果はどうだったのでしょうか。

 

田中さん:書類審査と面接の結果、13人のファイナリストに選ばれました。ファイナリストのためのトレーニングプログラム「ビューティーキャンプ」に参加して、ダンスやウォーキング、スピーチなどの講座を受けたのは、とても勉強になりましたし、ファイナリストにはいろいろな人がいて、純粋に楽しかったです。

 

面接と最終審査のスピーチで、施設出身ということと、「モデル活動を通して、社会貢献がしたい」ということを話しました。結果は準優勝でしたが、そのころから「施設出身のモデル」として講演の依頼をいただくようになって、「もっと勉強しよう」「施設に足を運ぼう」と思うようになりました。自分の活動に責任感が生まれたんだと思います。

 

── それまでも、施設にはときどきいらしていたのですか。

 

田中さん:いいえ。退所してからは、一度も行っていませんでした。困ったり悩んだりしたときも、施設の先生には相談しなかったんです。今思うと、当時の私は誰かに支援されることを拒否していました。

 

施設にいたころは、寄付をいただいた知らない方にお礼の手紙を書いたり、写真を撮られたりすることがしょっちゅうあって。その反動で、受け取るばかりの人生がいやになっていたというか。施設を出てからは、「人から支援を受けないで生きていきたい」という思いがありました。

 

でも、モデルの仕事に夢中になって短大を留年することになったとき、施設の先生が連絡をくれたんです。留年すれば、学費も生活費もさらに1年分かかります。「もう学校をやめてしまおうか」と悩んでいたら、先生が、児童養護施設退所者等の自立を支援する「せたがや若者フェアスタート事業」のサポートを教えてくださいました。家賃を援助してもらったこともあって、無事に短大を卒業することができました。そのことがきっかけで施設と連絡を取ることが増えて、ふたたび施設とのつながりができました。