7歳から18歳まで児童養護施設で暮らし、退所後はモデルとして活躍。現在は自身の経験や子どもたちにとって必要なサポートについて発信する田中れいかさん。施設を退所後にぶつかった壁と、11年間暮らした施設に対する今の思いを聞きました。

友達との格差に疎外感を感じた短大時代

田中れいか
18歳まで暮らしていた施設の前で

── 小学2年生から高校卒業まで、児童養護施設で暮らしていたそうですね。退所後はどうされたのですか。

 

田中さん:当時、児童養護施設は原則18歳で退所することになっていたので、私も高校卒業と同時に退所して、ひとり暮らしを始めました。

 

高校卒業後は、保育士の資格を取れる短大に進学しました。短大の入学金や学費は給付金と給付型奨学金でまかなって、たりないぶんは貸与型の奨学金も利用しました。家賃や生活費は、高校生のときから続けていたアイスクリーム屋さんやスポーツクラブの受付のアルバイトで稼ぎました。

 

生活はなんとかやっていけましたが、短大でできた友達とは格差を感じていました。みんなは、実家があったり仕送りをもらっていたりして、私にはないものを持っていたんですよね。「カフェへ行こう」「ディズニーへ行こう」という話になっても、私は生活するので精一杯。遊びに使うお金には余裕がなかったんです。今思うとそこまでではなかったのに、当時は「生活できなくなったら死んじゃう!」と思いつめてしまって、友達の輪にだんだんと入れなくなっていきました。

 

「同い年で同じ性別で、同じ保育士という夢を持ってここにいるのに、私だけが浮いている」という疎外感があって、ひとりになりたくてトイレでお弁当を食べたり、チャイムが鳴るギリギリに教室に入ったりしていました。

 

そのころの私は、「人に頼らないで自分でやらなきゃ」と思い込んでいて、誰にも相談できなかったんです。「あの両親から生まれたせいだ」「そうじゃなかったら、学費も生活費も自分でやりくりしなくてもよかったのに」と他責思考が強くて。表情も暗かったし、人を寄せつけない雰囲気があったと思います。