「親」ではない施設の先生への反発も

── 施設の職員の方は、何人くらいいらっしゃるのですか。
田中さん:当時は12人の子どもに3人の職員がローテーションでついてくれました。今は、6人の子どもに対して職員が5、6人とかなり手厚くなっています。職員のことは「先生」と呼んでいて、一緒にアイシングクッキーを作ったり、ドッジボールをして遊んだりしたのを覚えています。勉強も教えてくれるし、高校生になると進路の相談にのってくれました。
── 施設の先生は、親代わりという感じでしょうか。
田中さん:「親」とは思わなかったですね。先生が仕事でやっているということはわかっていたので。思春期には、生活態度を注意されて反発して、「どうせ仕事でやってるんでしょ」と言ってしまったこともあります。今思うと、せつなさもあったんでしょうね。「踏み込んでほしいけど、向こうは仕事なんだ」という思いがあったんだと思います。もちろん、親身に話を聞いてくれる先生もいましたし、今でも当時の先生方とは交流があります。
私がいた施設には、門限などのルールがあったし、ルールを守れなければ「テレビ禁止」といったペナルティもありました。今は、そういうペナルティはないと聞いています。大人になってから施設の先生と話したときに、「親権代行者としての責任があるし、ほかの家庭の大事なお子さんを預かっている」という思いがあるということを聞きました。