7歳から18歳まで児童養護施設で暮らし、退所後はモデルとして活躍。現在は自身の経験や子どもたちにとって必要なサポートについて発信する田中れいかさん。児童養護施設での生活や、両親との関係についてお話を聞きました。

4歳上の姉に連れられて、パジャマ姿で交番へ

田中れいか
育った施設で笑顔を見せる田中れいかさん

── モデルとして活躍しながら、児童養護施設で暮らした体験を発信されている田中さん。児童養護施設に入所されたのは、おいくつのときですか。

 

田中さん:小学校2年生です。それまでは、両親と3歳上の兄、4歳上の姉と5人で暮らしていました。そのころは両親の関係が悪くて、夜中に物を投げつける音とか、お母さんの悲鳴が聞こえてくる。そんな生活でした。

 

そんなある日、母が家を突然出て行ってしまいました。それからは父の怒りの矛先が兄に向かってしまい、叩いたり、怒ったり…。姉と私は叩かれることはなかったのですが、怒鳴られたり、団地の廊下に立たされたりすることがありました。

 

ある晩、理不尽なことで父が姉に「出て行け!」と言ったんです。そうしたら姉は私を連れて、本当に家を出たんです。深夜0時を過ぎていて、私は何もわからず、パジャマ姿のまま姉について行きました。姉は交番へ行って事情を話したようで、私たちはそのまま一時保護されました。

 

── 一時保護所にはどれくらいの間いたのですか。

 

田中さん:1か月半くらいです。その間は学校には行けないので、プリントで勉強をしたり、ほかの子どもたちと一緒に、施設内のグラウンドで走ったりしていたのを覚えています。そのころ、どんな気持ちだったかはあまり覚えていません。「お父さんと離れて悲しい」という気持ちはなかったと思います。

 

その後、姉と一緒に世田谷区の児童養護施設に移りました。私は覚えていないのですが、最近になって施設の先生から、「めちゃくちゃ泣いて、部屋の隅っこに座って『行きたくない!』って言ってたんだよ」「施設に来たとき、車の中から3時間も出てこないで、ずっと泣いていたんだよ」と聞きました。

 

入所した日のことはぼんやりとしか覚えていないのですが、担当の先生が「ここは大丈夫な場所なんだよ」と私が眠りにつくまで隣にいてくれた記憶があります。

 

私たちが入所してから1か月後に、兄も同じ施設に入りました。兄は学習障害があるので途中で障害者施設へ移り、姉は途中で施設を出てしまったのですが、小さいころは3人一緒で心強かったです。

 

── 施設での生活には、すぐに慣れましたか。

 

田中さん:そうですね。そのころの私は「児童養護施設」という言葉を知らなくて、「親と一緒にいられないからここにいるんだな」となんとなく理解している感じでした。私がいた施設には2歳から18歳までの子どもが暮らしていたので、小さい子と一緒に遊ぶこともありましたし、上級生からかわいがってもらった記憶もあります。

 

学校は、施設から通える小学校に転校しましたが、施設にいるという理由で、いやな思いをすることはまったくなかったです。当時は「施設から通っているだけで、ほかの子と変わらない」と思っていました。

 

施設には部活動があって、私は入所してすぐにバレー部に入りました。施設にもよりますが習い事もできて、私はボランティアの先生にピアノを習っていました。季節の行事もいろいろあって、誕生日にはお祝いもしてもらいましたし、クリスマスにはサンタさんが来てくれました。夏休みにはキャンプをしたり、冬にはスキー旅行に連れて行ってもらったり。おこづかいももらえます。

 

「施設で育った」と言うと、「かわいそう」という目で見られることもあるのですが、私はそんなことはないと思います。私にとって、施設は実家とは違うのですが、7歳から18歳までの思い出がたくさん詰まっている場所です。