「死なない約束はできますか?」と先生に問われて

── どのような先生だったのでしょうか。

 

安藤さん:先生はカウンセリングに優れた方で、私が納得するまで何時間でも対話をしてくれました。「私を太らせようとしている」と周囲を敵視していた私に、先生は4時間以上もかけて、マンツーマンでカウンセリングをしてくれたんです。そして退院できる体重のラインを一緒に決めました。

 

治療は「認知行動療法」といって、いくつかの制限を設けて進めていくものでした。「100グラムでも減ったら今日はベッドから降りることはできないよ」など、やせようとする私の行動を制限するような厳しい言葉がけもときにありましたが、「摂食障害は自分のせいでも、家族のせいでもない」と言ってくれました。

 

また、「家族全員でこの病気のことを理解していかないと、いい方向にはいかない」と、治療内容を家族にも説明してくれました。病気を悪者と思わずに、一緒に手をつないで歩くように寄り添っていく大事さを説いてくれましたね。

 

── 根気よく安藤さん、そしてご家族と向き合ってくれる先生だったことが伝わってきます。

 

安藤さん:先生の言葉で最も心に残っているのは、最初にお会いした際のカウンセリングのなかで「死なない約束はできますか?」と言われたことです。そのとき私は体重が増えることへの恐怖から逃れられず、食べ物が頭を支配して通常の小学生のような遊ぶ楽しみなどは感じられなかった。体重を気にせず笑顔でおいしいと言えるふつうの状態ではなかったわけですから。孤立感もあって「死にたいほどつらい人生」と思っていたので、すぐに約束はできなかったのですが、先生は私のそういった気持ちにも納得して、約束を取りつけるまでとことん向き合ってくれました。

 

最終的には先生の親身な言葉や対応に根負けし、約束せざるを得ないような感じでした。でも、その先生の言葉がいまでも心のお守りにずっとなっていて、「どんなにつらいことがあっても、自分自身では死を選んではいけない」と思えるようになったんです。

 

安藤瞳
安藤さんが30歳のころのご両親との家族写真

── すばらしい先生との出会いですね。その後、回復の兆しは見られたのでしょうか。

 

安藤さん:入院してから10か月ほどは飲み物も摂れない状態でした。ある日、偶然なのですが、病院食の牛乳を飲めた日があったんですよね。「すごくおいしい」と思えて、そこからは体が栄養を欲するように変わっていきました。ただ、それを機に今度は「過食症」との葛藤が始まりました。

 

何も食べられなかった状態から、その反動で食べることが止められないほどの過食症に。これまで食べないことで自分を完璧に制御できていることに満足していたのに、今度はその真逆。体としては健康に近づいたのですが、心は太っている自分への嫌悪感でいっぱいになりました。退院してもいい体重の目安を18キロと、先生と決めていて、その体重まで増やせたのですが、「心身ともに健康」とは到底言えない状態。拒食症のときよりも苦しかったです。

 

── 自己嫌悪にも陥ってしまったんですね。過食症になると食べたものを吐いてしまうと聞きます。

 

安藤さん:クッキーや菓子パンなどを体が欲しがって食べたいだけ食べていましたが、私は吐くことはありませんでした。「拒食症から回復する過程で、多くの場合、過食を経験する」ことを先生から事前に聞いていて、「食べても吐いてはだめだよ」とも言ってもらっていたので、制御できている部分がありました。あくまでも私の場合なので、この病気を患っている方々に必ずしもあてはまるわけではないですが、小学4年生が終わるころのことでした。

 

退院後、小学校時代は家にいながら治療を続けていましたが、中学に入ったタイミングで学校にも行けるようになりました。これまでの人生を取り返すようにすごく勉強して、テストでは100点を取って。でも、こうした頑張る生活にまた限界がきて、拒食症の症状が再び出てしまい、徐々に体重が減っていったんです。秋から冬になるころには、学校の木製の椅子に座ると骨があたって痛いくらい。「また、戻ってしまった」と自覚しました。