「食べられない」「食べすぎちゃう」といった摂食障害の症状。はたから見れば、理解しづらいものですが、当人にとっては「死」さえもよぎる深刻な問題。プロボウラーとして活躍する安藤瞳さんも、10歳のころから20年間、摂食障害に悩み生きてきました。

完璧主義から「体重もいちばん細い子に」と

──プロボウラーとして活躍するかたわら、摂食障害の啓蒙活動にも積極的に取り組んでいますが、安藤さん自身、小学生のころに摂食障害を患っていたそうですね。どのような経緯で発症されたか、伺えますか?

 

安藤さん:10歳のころです。テレビや雑誌でダイエット企画をひんぱんに目にする機会があって、当時は「やせているほうがいい」という風潮がありました。私は性格上、何においても一番になりたいタイプで、クラスに体型が細い友だちがいると「自分はあの子より劣っているんじゃないか。あの子よりやせたい」と思うようになって。小学生でありながら、他人との優劣を敏感に感じやすく、そういう意味では幼いながらに生きづらさを感じていたように思います。

 

最初は「ご飯を少なめにする」といった制限を設けていただけでしたが、徐々に「食べることへの恐怖心」に支配されていきました。揚げ物や炭水化物はいっさい摂らず、野菜や海藻など、カロリーが少ないものを選び始め、口にできるものがどんどん少なくなって…最終的には水も飲めない状態に。一番やせたときは体重が13キロまで落ちていました。

 

── 小学4年生の女子の平均体重は35キロほどといわれていますが、かなりやせている数値ですね…。学校の給食はどうされていたのですか?

 

安藤さん:最初に器に盛る量をこっそり減らしたりしていました。そういうやりくりで体重を管理できたことに対して、「自分はすごい」と達成感すら抱いていたのですが、一方で体重制限をかけていることをクラスメイトには気づかれたくありませんでした。でも、数か月も経つと、立っているのも難しいほどの体力になってしまって。周囲に気づかれるような細すぎる見た目になったころには、学校に行けなくなっていました。

 

── 自分で努力した分、体重が落ちる成果がうれしかったんですね。いっぽうで、体は悲鳴を上げていたのだとお話を伺っていて伝わってきます。そこから病院へ行かれたのでしょうか。

 

安藤さん:最初は地域の小児科を受診しました。当時は拒食症に詳しい医師が少なく、そこでは自律神経失調症だと言われて漢方薬をもらうなどしたのですが回復せず、紹介状をいただき、地元の市民病院へ。ここで摂食障害だと診断を受けました。こちらでも治療法はあまり確立されておらず、その後隣町の市民病院へ移り、初めて入院することになりました。

 

入院時は心臓に近い太い血管から栄養を投与する治療を行ったりもしました。ただ、私自身は体調がおかしくなっても「1グラムでも体重が増えたら自分の努力不足」という固定観念が頭から離れませんでした。体に栄養が入る恐怖に耐えられなくて…。そうして限界を迎えたころにたどり着いた摂食障害専門医のいる病院で、後の人生に大きな影響を与える先生に出会ったんです。