子どもが好きなのに眼帯を怖がられて 

かたのめい
カンボジアで笑顔を見せるかたのさん

── 左目が見えなくなり、いちばんつらかったのはどのようなことでしたか?

 

かたのさん:自転車や車の運転がしづらい、体が不安定で階段で転ぶなど、物理的な不便はもちろんありました。でも、それ以上に「見た目が変わったことを受け入れなければいけない」現実がつらかったですね。成人式もまだ迎えていなかったので写真も撮っていなかったし、恋愛や結婚もしたいけど果たしてできるのか…。私は子どもが好きでかつて保育士に憧れた時期もありました。でも、眼帯をしていると子どもに「怖い」と泣かれてしまって、ものすごくショックでした。

 

── 学校を辞めてからはどのように過ごされていたのでしょうか?

 

かたのさん:しばらくは家にいましたが、生活のためにはお金も必要だし、なにかしなくてはいけないと考えていました。さらにケガをしたせいでアルバイト先に迷惑かけたので戻らないと…という気持ちがずっとあり、それで退院後3〜4か月してから飲食店のアルバイトに復帰しました。

 

バイト先の人たちは私がケガをした状況やその後のことを唯一知っている人たちで、退院後も心配してくれていました。「私のすべてを知っていて受け入れてくれる」という状況が当時は心強く、ここなら安心して自分らしく働くことができるなと思ったんです。結果的にそこで2年くらい働いていましたね。