「自分ばかりつらい」と思っていたけれど

── 飲食のバイトを2年ほど経験された後、海外に行かれたそうですね。何かきっかけがあったのでしょうか。

 

かたのさん:飲食店で働きながらも、「今後どうしよう」という想いはずっとありました。飲食店ではキッチンでの調理作業の仕事がメインでした。あるとき、ふと、入院中にひとりで泣いているときに観た「飢えで苦しむ世界の子どもたち」の映像が頭の中に流れてきたんです。その光景がその後頭から離れず、キッチンで調理作業をしながら、悶々と「私にできることは何かあるのでは?怪我をしたことに何か意味があるのでは?」と考えるようになりました。

 

私は片目を失ったことで「自分ばかりつらい」と思っていましたが、もしかしたらそうではないのかもしれないと思ったんです。当時、私が左目を失ったことや将来について悩んでいても、結局は私に無関心の人もたくさんいて、そのたびに「孤独」や「冷たさ」を感じてきました。

 

でも、もっと視野を広げてみると、つらいと思っている人はほかにもいて、自分もそんな人に対して無関心だったなと。自分のことでいっぱいいっぱいで、たとえばまわりに苦しんでいる人や世界で苦しんでいる人がいても、結局は、見て見ぬふりをしてきているな、と気づいたんです。と同時に、もしかしたら私にもなにかできることがまだまだあるのかもしれないと。

 

昔から私は音楽が好きでした。事故にあってからも、ずっと歌を聴いていて、たびたび歌に救われることがありました。音楽って言葉がわからなくても、気持ちをつたえられるじゃないですか。だから、私も歌を通して世界の子どもたちを笑顔にしたいと思い立ったんです。それで、アルバイトで貯めたお金を握りしめて、海外に行きました。

 

かたのめい
インドネシアでのボランティア活動

── 飢えで苦しむ世界の子どもたちの映像を思い出して、専門学校を辞めて一度は諦めた海外への思いが再熱したんですね。

 

かたのさん:そうですね。それで思いきってアイスランドに行く数か月間のボランティアツアーに参加したのですが、それでもやっぱり最初はうまくいきませんでした。せっかく海外に行っても、見た目のこともあり殻に閉じこもっていました。

 

でも、ある日「せっかく来たんだから」と思い、勇気を出して同じツアーに参加した外国人の仲間の輪に飛び込んでみたんです。身振り手振りを加えながら自分のことを一生懸命話すと、思った以上に自然にまわりが受け入れてくれて。「もしかしたら自分はいろいろなことを重く考えすぎていたのかもしれない」と気づきました。そのときの経験がとても大きく、帰国後、たくさんの人たちと話せるようになりました。見た目が変わったことを気にせずに人前で歌おうと、路上ライブを始めるきっかけにもなりました。

 

その後もオーストラリアにワーキングホリデーで行くなど、いくつかの国を訪れました。インドネシアでは貧しい子どもたちに歌と日本語を教えるボランティアに行きましたが、お金がなくてもみんな幸せそうなことにびっくりして。「お金がない=不幸せ」と考えていた自分の価値観が変わりましたね。「豊かさとはなんだろう」と考えさせられました。