19歳のときに事故が原因で左目の視力をほとんど失った、かたのめいさん。将来のことは考えられなくなり、当時通っていた学校を退学してしまうほど落ち込んだそう。その後、ある出来事がきっかけとなり、現在は片目シンガーとして音楽活動を行っています。

事故で突然失った左目の視力

かたのめい
片目シンガーのかたのめいさん

── かたのさんは現在、お仕事をされながら片目シンガーとして歌を発表して多くの人に届けています。19歳のときに事故で左目の視力のほとんどを失ったそうですが、当時のことをくわしく教えてください。

 

かたのさん:事故当時、私は19歳で、外国語を勉強する専門学校に通いながら夜は飲食店でアルバイトをしていました。事故が起きたのはバイトを初めて3日目のことでした。お客さまが帰ったテーブルの食器を片づけようとしたときに、掘りごたつで足を踏みはずし、手に持っていたグラスが壁と左目の間に挟まる形で転んでしまったんです。

 

グラスが割れて左の眉下が切れて出血してしまい、そのままタクシーで大きな病院へ。病院で傷口を縫ってもらったのですが、縫い終わって目に光を当てたとき、目が見えていないことに気づきました。それでそのままもっとくわしい検査ができる大きな大学病院に行くことになったのですが、そこでガラスが眼球にまで届いていたことがわかったんです。

 

── そこからどのような手術をされたのでしょうか?

 

かたのさん:ガラスのせいで眼球が切れていたので、破片を取り除き、縫い合わせる手術をしました。そこから1か月ほど入院をしてはがれた網膜を元に戻し、目の中にシリコンオイルを入れて網膜がくっつくようにする手術などを行いました。その過程で傷ついた水晶体を取り除いていたので、入院中に左目の視力はもう元には戻らないと医師から告げられました。

 

── かなりショックだったのでは?

 

かたのさん:それまでは手術をすれば視力が戻ると思っていたんです。なので、心配かけないように親や友だちにも明るく振る舞っていたのですが、もう目が見えないと聞いたときは病院のフロアに響き渡るほどの声で泣き叫んだのを覚えています。

 

ショックのあまり、退院後もしばらくの間、自宅で療養しつつ、なにもせずに過ごす日々が続きました。見た目が変わって人目が怖くなったという理由もあったのですが、事故の影響で未来のことがまったく描けなくなってしまって、専門学校も辞めてしまいました。

 

それまでは将来、海外で働くことが夢でした。でも、もうそんな未来は難しいだろうと。もし学校に行っても、将来に向かって勉強して行動している友だちと一緒に過ごすのは耐えられないと思い、退学することを決めました。

 

── ご家族の反応はいかがでしたか?

 

かたのさん:両親はケガをしてから特になにか聞いてくることはありませんでした。学校にもう行けないと言ったときもすぐに受け入れてくれたし、家にいるときもずっと見守ってくれていましたね。