はじめて母との交換日記で本音を綴ったが

── そんな日々のなかで、お母さんとの距離はどう変わっていったのでしょうか。
あぢゃさん:私が素直になれずにいるのを見て、母が「交換日記、してみない?」って言ってくれたんです。亡くなる1年半くらい前のことでした。最初は「別に会いたくねえけど、元気で帰ってこいよ」なんて、強がったことばかり書いていました。でも母がだんだん弱っていく様子がわかってきて、気持ちはざわついたのに、どう表現していいかわからなかったんだと思います。
そんなある晩、父がひとりで泣いているのを見てしまったんです。祖母から「毎晩ああして泣いてるんだよ。ママがもう長くないこと、あんたもわかってるでしょ」と言われて、その言葉が胸に突き刺さりました。そこで初めて「このままじゃダメだ」と思ったんです。
「今日は本音を言うね。ママの子どもでよかった。本当に産んでくれてありがとう」。パパのことも「任せてよ」と、何ページにもわたる手紙のような日記を書きました。
── あぢゃさんが初めて心の内を明かしたその日記、お母さんはどのような反応を?
あぢゃさん:実は、日記を渡したその日に母が転んで頭を打ち、そのまま意識が戻らなかったんです。息を引き取ったのは、その2日後でした。
だから、私が初めて素直な気持ちを書いた日記を、読んでもらえたのかどうか、わかりません。もっと早く伝えていればと、何度も思いました。母は、いつも私によく言っていました。「人生に『たられば』はない。今、ちゃんと向き合わないとダメなんだよ」と。その言葉の意味を、心から理解したのは、あのときでした。
── その後、ご自身を強く責めてしまった時期もあったそうですね。
あぢゃさん:親戚に「あなたが反抗ばかりしてストレスをかけたせいだ」と言われて。私も「自分が母を殺してしまった」という思いから抜けきれませんでした。もう少し早く「ごめんね」「ありがとう」と素直に言えていたら、母はもう少し生きられたかもしれない。そう思うたびに胸が苦しくなりました。
夜になると「嘘だよ~」って母が帰ってきて抱きしめてくれるんじゃないか、なんて想像したり、「いっそ自分が死んだらよかったのに」と考えたこともあります。直視できずに現実から逃げてしまった。今でも人生でいちばんの後悔です。