「本当はママっ子だったのに素直になれなかった」。90年代後半に渋谷で極端に黒いメイクと奇抜なファッションで話題になったヤマンバギャルのあぢゃさん。中2のころに亡くなった母に対して、長い間後悔していたことがあったそうです。
日に日にやせていく母を見ても素直になれなかった

──「元祖ヤマンバギャル」としてかつて一世を風靡した、あぢゃさん。そのパワフルな笑顔の陰で、中学時代に最愛の母親を乳がんで亡くしたという過去があります。病気が発覚したのは小学生のころ。当時、どんなふうにその現実を受け止めていたのでしょうか。
あぢゃさん:母の乳がんが見つかったのは、私が小学校4年のときでした。でも、家族のなかで私だけ知らされていなくて、入院中も「ママは旅行に行っている」と聞いていたんです。退院してきた母は「もう大丈夫」と笑っていたのですが、子どもだった私はそれをそのまま信じていました。
それからしばらくして、中1のときに「再発した」と聞かされました。母の容態は次第に悪化。昔から「きれい」と言われてきた母が、日を追うごとにやせていって。退院後は眼帯をするようになっていました。うちはクラブを経営していたのですが、母は「ものもらいだよ」と言って、眼帯をしたままお店に立っていました。実際は、目の裏にがんが転移して、もう見えていなかったそうです。それでも、家族と一緒に過ごしたい、家計を支えたい。その思いで無理をして働いてくれていたんだと思います。
ちなみに、最近になって父から聞かされたのですが、母は最初からもう手術ができない段階だったそうです。
── 気丈な母の姿を見て、あぢゃさんご自身はどう感じていましたか。
あぢゃさん:目に見えてやせていく母を見ても、どこか現実味がなくて。その後、再び長期入院となった際、母から「もう何年も再発を繰り返していて、もしかしたらもう会えないかもしれない」と告げられ、その言葉の意味がようやく理解できました。
でも、悲しいという感情を認めると、母を失うことが現実になりそうで「そんなネガティブなことばかり言うママなんていらない!」と、突き放すような言葉を吐いて強がってしまったんです。
── 現実を受け止められなかったのですね。
あぢゃさん:同居していた祖母にだけは、「こんなふうに言っちゃった」と本音を話してました。「素直になればいいのに」って言われたけど、できなくて。もともと私はすごくママっ子だったんです。だからよけいに向き合いたくなくて、現実から目をそらし続けてしまったんです。どんどんやせて、髪も抗がん剤でなくなっていく。それでもお見舞いに行くと「来てくれたんだ!」って明るい笑顔で抱き締めてくれる母に、「やめろよ、気持ち悪いな!」なんて言っちゃって。一瞬、寂しそうな表情をした母の顔を、今でも覚えています。