「別れたけど」病気の元妻を見捨てられず
友紀さんは出産の際にも、苦難を経験しているそうです。出産当日の夜、風岡さんのもとに、「印鑑を持参してすぐ来てほしい」という病院からの電話があったそう。
「病院に急いでかけつけると彼女が手術台に乗せられていて、出血が止まらない状態でした。難産だったわけです。出血を止めるために手術が必要だと言われ、印鑑はその同意書に判を押すためのものでした。手術も終えてひと安心と思っていたら、翌日、また病院から呼び出しがあり、転院の知らせを受けました。再び出血して生死の境をさまよい、その後、大量の輸血をしてなんとか無事に生還したんです」
ふたりしか知らないつらい過去。離婚して関係は絶たれましたが、心の病をきっかけに元妻を見守り、回復後には自身を支えるパートナーという間柄に。そうしたときを経て、友紀さんは乳がん治療のいまを迎えています。
正直、離婚の傷は深かったと話す風岡さん。当時、タケノコの販売が盛況なことに気をよくし、風岡さんは2台目のフェラーリを購入。ローンは2年で完済するも、友紀さんはそれを好ましく思っていませんでした。そこで、しかたなくフェラーリを手放したものの、その時期が離婚成立と重なったため、慰謝料としてフェラーリをとられたと噂され、嫌な思いをしたそうです。
「それでも彼女はタケノコ農家という不安定な生活を受け入れ、僕についてきてくれた。サラリーマンと結婚したほうが間違いなく安定していたはずなのに、ずっと支え続けてくれました。だから離婚や病気をしたからといっても、見捨てることはできません。これまで共に苦労し合った者同士、助け合っていきたいと思います」